「手段」を極める、技術派のインサイトテクノロジーにあこがれて
社会人としてのスタートは製薬会社のシステム子会社。システム部門の一部が子会社として独立しているというようなイメージだ。そこでは親企業のシステムを担当する部署と、親会社以外の企業にシステム製品を販売する部署と分かれていて、新久保さんは後者の「外販部隊」に配属された。
学生時代は経済数学を専攻。カリキュラムでデータベースを使うこともあった。
「そのときのデータベースは確かSybaseでした。しかしあまりデータベースとして意識することはなかったです」(新久保さん)。
学生時代にデータベースに触れていたためか、比較的すんなりと開発の仕事に取りかかることができた。開発の業務でOracle Databaseに出会う。ここがデータベースやOracleとの関わりのスタートだった。
開発プロジェクトをいくつかこなしながら、入社して3年ほどすると将来のことを考え始める。
「考えなくてもいいのに、考えちゃったんですよね」と新久保さん。エンジニアとしてこのまま進むとしたら、道は3つ。現状携わっている開発(プログラミングなど)を極めるか、ネットワークなどインフラ関係に進むか、データベースの専門家になるか。新久保さんは3つめの「データベースの専門家になりたい」と思った。
この志向にはインサイトテクノロジーの影響があったのかもしれない。前職ではインサイトテクノロジーのパフォーマンスインサイトなどの製品を扱うなどしていた。インサイトテクノロジーのセミナーに参加することもあった。「いい製品を作る会社だなと思っていました」(新久保さん)
そうしたあこがれと前職の社風にはギャップがあった。親会社を持つシステム子会社にとって、優先すべきは親会社や顧客企業の業務そのもの。「前職では技術は“手段”にすぎないとみなされていました」と新久保さん。手段なのだから極める必要はないという感覚だった。
そう教えられてきた新久保さんにとってインサイトテクノロジーは「手段にすぎないと言われている技術でメシを食っているなんてすごい」とひかれるようになった。そして転職を考えるようになるのは自然の流れだった。