カーナビの進化~より最適なルートを提供するために
自動車の普及は「クルマがあればどこへでも行ける」という日常をもたらした。当初は、車中で情報を得る手段はラジオだった。その後、カーナビという道案内役が登場。次第にカーナビは進化し、ネットと接続し地図を更新できるだけではなく、自ら情報提供する役割も担うようになってきた。ホンダにおけるカーナビの進化の経緯を少し追ってみよう。
カーナビの元祖とも言えるのが1981年に登場した「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」。ホンダ自ら開発した世界初のカーナビの要素技術となるものだ。ただし当時はまだGPSではなくジャイロセンサーを使用しており、現在地を表示するだけのものだった。その後、GPSの利用やナビゲーション機能が開発され、1998年にはインターネット接続、2002年には双方向通信型「インターナビ プレミアムクラブ」がスタートした。
カーナビ初期のころ、切実な課題となっていたのは地図を最新版に更新することだった。道路は刻々と変化する。古い地図では最適なルートを案内することはできない。当時地図を更新するには地図データのDVDを購入したり、ディーラーにクルマを持ち込んだりする必要があった。また最適なルートを割り出すには道路交通情報が必要となる。ここに有効なのがVICS(道路交通情報通信システム)ではあるが、提供される場所が幹線道路などに限られており、最適なルートをユーザーに提供するには不十分だった。
そこで「走行しているクルマをセンサーとし、そのデータを会員間で共有しよう」という発想で、双方向通信型「インターナビ」へとつながった。インターナビ搭載のクルマは走行中の位置および加速・減速の情報(フローティングカーデータ)を刻々と記録し、データをホンダのサーバーに送信する(所有者情報などは結びついていない)。
2003年10月からはフローティングカー交通情報システムを開始。会員同士で収集したフローティングカーデータはVICSよりも提供範囲が広く、より早いルートを案内することに役立った。
例えば、自由が丘から白樺湖へのルート検索。一般的なナビでは中央自動車道経由が案内される。しかし行楽シーズンのある日では、都内から中央自動車道および関越自動車道へ抜ける道が激しく混雑していたため、インターナビは最速ルートとして東北自動車道、北関東自動車道、関越自動車道、上信越自動車道を経由するルートをはじき出した。一見大回りに見えるが、これがその日の混雑を回避した最適なルートだからだ。
そして2010年には3G通信モジュールが標準装備となり、通信費が無料になるリンクアップフリーも開始となった。2011年にはスマホ用のアプリ、2012年にはバイク用のアプリも登場している。2012年末にはインターナビLINCの会員は171万人へと広がっている。