MySQLエキスパートとして国内のみならず、ワールドワイドでその実力を認められている松信嘉範氏。MySQLとの出会い、買収のこと、キャリアアップのこと―ざっくばらんにお話しいただいた。
たまたま出会ったMySQLに惹かれ、いつしか本家コンサルに
MySQLエキスパートとして国内のみならず、ワールドワイドでその実力を認められている松信嘉範氏。現在はディー・エヌ・エー(以下、DeNA)のMySQLエバンジェリスト(英語表記は"MySQL Geek")、正式な肩書きは「システム統括本部 IT基盤部 インフラ担当プリンシパルアーキテクト MySQLエバンジェリスト」として、サービス拡大を続けるDeNAのインフラを支えている。なお、DeNAは国内はもちろん、世界でも有数のMySQLヘビーユーザとして知られている。

松信氏がDeNAに入社したのは2010年9月、同氏のキャリアにとっては5社目となる。32歳という年齢にしてはやや多い数字のように聞こえるが、MySQLと松信氏の関係を追っていけば、それはごく自然なステップを踏んできた結果に過ぎないことがわかる。
「社会人最初の企業はソニーです(2001年)。実はここではじめて業務用データベースシステムに触ったのですが、それがOracleでした」
だが松信氏はOracleよりも、たまたま触れる機会があったオープンソースデータベースのMySQLに興味を惹かれていった。
「社内の小さなプロジェクトをOracleで作るのはちょっとリッチすぎるかな、と思っていたときに、ちょうどMySQLの存在に気づきました」
これが2004年のことである。構築する環境の規模に応じて柔軟なスケーラビリティを発揮するMySQLはチューニング次第でいかようにも変化させることができた。その面白さに魅力を感じた松信氏は、会社の業務でもMySQLを使うようになり、コミュニティにも参加し始めた。
やがて2006年、松信氏に大きな転機が訪れる。当時、日本法人をもたなかったMySQL ABはいくつかの代理店経由で日本でのビジネスを行っていた。そして日本法人設立の際に、優秀なMySQLコンサルタントとして松信氏をリクルートする。
「当時、MySQL ABはMySQLおよびデータベース技術に詳しく、英語での議論ができ、パートナー企業と直接的な雇用関係のない人材を探していて、ちょうど私が条件に合ったようです」
―こうして松信氏のMySQLコンサル人生がスタートした。
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五味明子(ゴミ アキコ)
IT系出版社で編集者としてキャリアを積んだのち、2011年からフリーランスライターとして活動中。フィールドワークはオープンソース、クラウドコンピューティング、データアナリティクスなどエンタープライズITが中心で海外カンファレンスの取材が多い。
Twitter(@g3akk)や自身のブログでITニュース...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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