公認会計士からプレイングCTOへ
「ITで世界が変わった?変わってないから!」
「ITなんてなくても世界は回るから!全てのIT屋は反省すべき!全力で反省しろ」
「ITエンジニアなんて世の中で一番要らない職業だから!」
……とまあ、この調子で取材に来るなり、全否定。けんもほろろ、とりつく島もない勢い。
今回のDBプロはノーチラス・テクノロジーズ 代表取締役社長の神林飛志さん。某イベントで行なわれたパネルディスカッションでこのキレっぷりを目撃したDBオンライン編集部たっての希望で実現した取材である。とあるデータベースの重鎮も「ちょっと怖いかもしれないけど、面白い人だから話を聞いてごらんよ」と太鼓判。そこでやってきてみれば、やっぱりちょっと怖い。でも確かに面白い。
「ぼくはITやコンピュータに幻想がないから」という神林さん、波瀾万丈な経歴の持ち主でもある。抜粋して流れを追ってみよう。
まず社会人としての経歴は会計事務所の公認会計士から始まった。学生のうちにに資格試験に合格したため、大学卒業前から公認会計士として働き始めたという。そこで企業買収などの案件を手がけた。IT業界だとM&Aなんて珍しい話ではないが、90年代当時の日本では「会社は売りものじゃない」という感覚があったそうだ。ちょっと隔世の感。
「短期間で対象となる企業や業界の事情をマスターしなくてはならないため、仕事はとてもタフでした」と神林さんは振り返る。
数年後、茨城を中心に店舗を展開するカスミストアのCIO兼CTOに就任する。実は神林さんはカスミストア創業者の息子。家業を継ぐような感覚だろうか。神林さんのITキャリアはここがスタート地点となる。
任されたのは汎用(はんよう)機で作られた業務システムの刷新。「フルスクラッチで書き換えました。3年くらいかかったかな」とさらりと言う。自らコードも書いたそうだ。
公認会計士からいきなりプレイングCTOである。当初は「未経験でそんな無茶な!」と思えたが、実は神林さんはコンピュータの知識は十分に持っていた。中学生ごろからパソコンでゲームを始めたそうだ。どんな遊び方をしたかと話を聞くと、いつの間にか話はダンプのとりかたになっていた。ダンプである。ダンプ?
それから学生時代。「大学生の時にLinuxが出まして。インターネットを始めたんですが。とはいえ、当時のインターネットってメールでしたけど」と話す。Linuxは楽しかったらしい。メールが?と思いきや違うらしい。「毎日コンパイルしていました」。
ダンプもコンパイルもお手のもの。神林さんはコンピュータはかなりの経験者であった。だから業務システムの刷新すら、自ら手がけられてしまうわけだ。コンピュータならどんな言語を使おうと「結局バイナリでしょ」という感覚。すごく機械に近いレベルを知っている。経営も知っている。だから冒頭のような話となる。コンピュータやITを概念的なものとしてとらえていない。