「仕事の目的は“世界平和”」―そんな言葉からは、どこか達観したかのような風格さえ漂う。さぞや海千山千のベテラン技術者なのかと思いきや、実は中津留さん、まだ29歳の若者なのだ。しかもぱっと見は実年齢よりさらに若く見えるものだから、大変失礼ながらやり手エンジニアというよりは、むしろイマドキの学生さん風だ。
この見た目の若々しさと、大局的なものの考え方との間に横たわるギャップが、何とも興味深い。一体どんなキャリアを積めば、若くしてこれだけの落ち着いた雰囲気が醸しだされるのだろうか? そのバックグラウンドを、コンピュータとの初めての出会いあたりから追ってみよう。
コンピュータへの知的好奇心に早くから目覚めた少年時代
中津留勇さんが初めてコンピュータに触れたのは、小学生のときのこと。ちょうどWindows 95が世に出て、インターネットブームが起こらんとしていた時代だ。親が買ったPCをいじり出した中津留少年は、ほどなくしてその魅力にとりつかれたという。
「中学生のころには、インターネットでレアな情報を仕入れて友達同士で自慢し合うのが楽しみでしたね。とにかくPCやインターネットが面白かったものですから、進学先も普通の高校ではなく、本格的にコンピュータの勉強がしたくて高専を選びました」
大分県出身の中津留さんが入学したのは、地元にほど近い久留米工業高等専門学校。専攻は「制御情報工学科」で、主に産業機械など制御系のハードウェア/ソフトウェア技術を学ぶ学科だ。中津留さんも、制御機器の設計・制作や機械加工の実習などに勤しむ一方で、個人的な関心はもっぱらソフトウェア分野に向けられていたという。
「そのころには、アングラサイトのような怪しいサイトも含めて、ネット上でさまざまな情報が入手できるようになっていました。そこで、生来の“知りたがり気質”が刺激されたんでしょうね。とにかく、コンピュータやネットがどんな仕組みで動いているのか、知りたくて知りたくて仕方がなかったんです。その中には、ハッキングなどの分野も含まれていましたね」
ちょうどそのころ、自身のPCがマルウェアに感染して起動できなくなってしまった。普通の人なら「おいおい、勘弁してくれよ……」で終わるところだが、生粋の知りたがり屋、中津留さんの反応は違った。
「なぜこんなことができるんだ?」「どうやったら外部からコンピュータに侵入できるんだ?」「どんな隙を狙って侵入しているんだ?」「侵入した後、何をどうやって起動できなくするのか?」「どうなってるの?」「なぜ?」……。
こうして次から次へと湧いてくる疑問を解決するために、ありとあらゆるサイトを徘徊して知識を仕入れた。特にハッキングやセキュリティ分野への知的好奇心は、アンダーグラウンドな世界への漠然とした憧れもあり、人一倍強かったという。
そんな中津留さん、卒業後の就職先にも当然のようにセキュリティ会社を選択したのだが、実は当時、これだけセキュリティに関する知識欲に燃えていたにもかかわらず、「仕事としてのセキュリティ」に関してはまったくの無知だったという。
「卒業後は、東京への憧れもあって、東京のIT企業に就職したいと思っていたのですが、当時はセキュリティを専門に扱う企業があるということすら知りませんでした。漠然と『IT系の会社を受ければいいのかな』と思いながら、学校が紹介してくれる会社の一覧を眺めていたら、『セキュリティ』という項目があったんです。これを見て、初めは『なんだこりゃ、警備会社か?』と思ったぐらいです(笑)」
しかしここでたまたま目に付いたのが、日本を代表するセキュリティ企業、ラックの名前だった。試しに会社案内を取り寄せてみると、まさに自分が普段から興味を持っていることを生業にしている。「こんな世界があることをまったく知らなかったので、衝撃を受けました!」(中津留さん)
こうして久留米高専を卒業後、中津留さんは単身上京し、2006年4月よりラックでプロのセキュリティ技術者としての第一歩を踏み出すことになる。