曖昧な基準で揺らぐスポーツ界のコンプライアンス
今年はオリンピックイヤーにあたり、世界中でスポーツへの関心が高まりつつあります。一方で、舞台裏ではスター選手に巨額な資金が動くなど、ビジネス的にもビッグイベントといえるようです。
スポーツビジネス界にいる私たちにとっても、まさに戦場といえますね。オリンピックで製品がどれだけ採用されるか、有望選手とどれだけスポンサー契約を結べるか、その成績いかんで売り上げが大きく左右するのですから。特に近年は、プロモーションに対するルールが厳しくなる一方で、ノンアマチュアに対する制約が徐々に解かれ、プロ野球選手の参加といったオープン化が進みました。
加えてグローバリゼーションの影響もあって、競争は激化するばかりです。そうした中で行き過ぎた商業主義の末か、選手のドーピングや「中東の笛」のようなアンフェアな審判など、競技に対する公正さが阻害されることもあり、オリンピックを取り巻く人間の浅ましさを感じることもしばしばです。
さらに、こうした問題はオリンピックばかりではありません。先日、高校野球児の特待生誘致、いわゆる「青田買い」の問題が表出しましたが、スポーツ業界におけるコンプライアンスは現実と理想との狭間で常に揺らいでいるのです。
なぜ、スポーツにおけるコンプライアンスの問題が生じやすいのか。その原因の1つが、グレーゾーンが広いという問題です。スポーツは、3つのF、「Fairness」「Fighting Spirits」「Friendship」を基本とし、任意性が重んじられてきました。これは、性善説に基づいて「在るべき姿」を問う半面、「ここまでならいいだろう」という安易な増長を生み出しやすい。
そしてもう1つは、ビジネスとしての価値が急激に高まっていることが挙げられるでしょう。スポーツは国家的なイベントとして意識され、テレビなどのメディアがこぞって取り上げます。ここまで商品価値の高いコンテンツともなると、ビジネスとしての利益が期待され、ルール違反への誘惑も大きいわけです。