箱にプラスのネジがあると、ドライバで分解してみたくなる子だった
エアコンや換気扇の掃除、不用品処分、こうしたちょっと手間がかかる作業は年末に家族の誰かに任されることが多い。そうでなければご近所さんからの紹介、もう少し前なら電話帳で近所の業者を探したかもしれない。しかし今ではネットで検索できる。筆者も昨夏、エアコンクリーニングをネットから依頼したことがある。予想以上の仕上がりと早さに「さすがプロ!」と感動したほどだ。
「くらしのマーケット」を提供するみんなのマーケット株式会社でCTOを務める戸澤さんは小さいころから機械に関心があった。「プラスのネジを見るとドライバで開けたくなる」らしく、あれこれ分解した。最初は分解するだけで元に戻せなかったが、次第に開けたネジを管理できるようになり、機械を元に戻せるようになった。中でもお気に入りだったのが壊れたビデオデッキとビデオテープ。録画も再生もせず分解するだけで「開けたら電池があるとか、内部の仕組みを見るのが楽しかったです」と笑う。
小学校に入ると親のパソコンで遊んだ。パソコンや機械が好きだったので大学は情報工学系に進学。アルバイトはせず、代わりにブログでアフィリエイトをしていた。ちょっとしたバイト代くらいは稼げていた。
ブログではPythonプログラミングのテクニックなどを書いていた。このブログがきっかけで、みんなのマーケット 社長の浜野さんからメッセージが届いた。Pythonができる開発者を探していて、興味があれば会社に来てもらえないだろうかという相談だった。戸澤さんは期末テスト直前だったため「テストが終わったら」と返事をした。
当時戸澤さんはまだ大学2年生で、浜野さんはみんなのマーケットを起業したばかり。浜野さんの手元にはPythonで書かれたくらしのマーケットのプロトタイプがあったため、Pythonに的を絞りエンジニアを探していた。シェアオフィスの一角で話を聞いた戸澤さんは「市場規模とかわかりませんでしたが、ニーズはあると思えたのでいつか成長すると思い、協力することにしました」と経緯を話す。
最初で唯一のエンジニアとして支える 就活せず、そのまま就職
戸澤さんは学生だったので、まずはインターンとして参加。しばらくは社長の浜野さんと営業、それから戸澤さんの3人体制だった。戸澤さんはSkypeで連絡を取り合いながら自宅で開発したという。
インターンとはいえ、ほぼ創業者のような存在である。シフトで入るアルバイトとは重みが違う。なぜ浜野さんからの誘いに応じたのかを訊くと、戸澤さんは「自分のコードをお金に換えたことがなく、自分のスキルでどこまでできるだろうか」という興味に加え、「いいアイデアがあるのに頓挫してはもったいない。コードを書ける人がいなくて困っていたようだから助けになりたかった」とビジネスの有望さを見出したのと、人助けとして協力することを決めた。
そのままアルバイトとして続け、卒業後はそのまま社員として就職した。「だからぼく、就活していないんです」と戸澤さんは言う。どこかで区切りをつけ、別の企業に就職する選択肢もあったはずだ。ほぼ創業時から企業の成長を支えてきたのだから、そのままともに歩みたくなったのかもしれない。
ビジネスを開始直後はインフラが強力ではなく、フォロアーが多いインフルエンサーが紹介したらサイトが落ちてしまったこともあった。かつては注文が入ると社内にメールで通知をしていて、最初は週に1件だったところ、次第に数日に1件、2日に1件、毎日、日に数件へと伸びていくのを戸澤さんは目にしていた。日に20件ほどになるとメールの通知が気にならなくなった。口コミが付くようになると、売上も伸びてきたという。
会社で1人目のエンジニアであり、最初の数年間は唯一のエンジニアだった。そのため戸澤さんがシステムのアーキテクチャやインフラまで、ほとんど整えてきた。唯一のエンジニアだった時はコードの可読性や誰かに引き継ぐことを考えずにコーディングしていたものの、2015年あたりからエンジニアがチームになってくると支障がでてきた。そこで8ヶ月くらいかけてコードを全部書き直し、データベースも変更するなど内部的には大きく刷新した。