コンピュータの出現と人間疎外、そして「個人情報保護」へ
―そもそも、「個人情報保護法」は何を守るための法律なのでしょうか?
鈴木 わかっているようで、よくわかりませんよね。とりあえず、個人情報保護法の第一条(目的)には、「個人の権利利益の保護」と書いてあります。日本国憲法は「個人の尊重の原理」(13条)をベースに各種人権を保障していますから、この憲法に基づいている全ての法律は、最終的には「個人の権利利益の保護」に帰着するともいえますよね。全ての法律に通底しているような法目的でちょっと漠然としているよなぁという感じを抱きます。ここは、個人情報保護法に固有の真の法目的って何だろうともう一段深く考えて確認しておかないと、単に決まりだから守るという風になってしまいかねない。実際、現場では、「利用目的を書いておけばいいんでしょ」「同意を取っておけばいいんでしょ」という、安易な風潮もみられるんじゃないでしょうか。
また、「ゼロプライバシー」という言葉も一時、流行りかけました。朝起きて、夜寝るまで、スマホがあり、街には防犯カメラがあり、車にはドライブレコーダーもある。さまざまなログがとられて、もう逃れようがない。一方で極めて便利にもなっている。デジタル化されログがとられる世界に入った以上、プライバシーの保護はもう諦めるしかない。現代社会、近未来社会においてはいわゆる従来のプライバシーにこだわっていても埒が明かない、ある程度は保護を諦めて利便性を受け容れることでも実は何の痛痒もなく生活していけるだろうっていう人たちが、ゼロプライバシーを言い出し始めました。
その後、私たちは、スノーデン事件で監視社会のリアリティを知り、某コンサル企業が米国大統領選や英国離脱に関与し、見事に勝利に導くのを目の当たりにした。Facebook等SNSの履歴データを使えば、人々の投票行動の操作も可能である事実を知りました。情報化社会だからゼロプライバシーを受け容れようという人たちは表からは一掃されたのではないでしょうか。そして今は欧州の個人データ保護法制であるGDPRが注目される時代です。
このように個人情報の保護の重要性はわかる。では、日本の個人情報保護法は何を守っている法律なのか。それを考えるために、なぜ個人情報保護法が生まれるに至ったのかを考えてみましょう。それは、なんといっても「コンピュータ」の出現が大きかったということになるでしょうね。
―個人情報保護というと監視カメラやクラッキングによる漏洩が連想されますが、一般的な「コンピュータ」が成立の背景なのですか。
鈴木 ええ。そして最近盛んに議論されているAIの問題にも似ていますね。よく「AIでなくなる職業」が話題にのぼったりしています。それと同じで、1800年代初頭には、牧歌的な産業の時代に新たな工業化、機械化の兆しが現れ、仕事を奪われることを恐れた人々による反発が起きました。ラッダイト運動(*産業革命期に起きた労働者による機械打ち毀し運動)です。
実は国内でも、コンピュータが出現した時に同じことが起きました。コンピュータ以前は、オペレータが機械式計算機を使って計算していたわけです。解きたい科学計算などの問題があれば、式を分割したりして、機械式の計算機を回して結果を出し、それらを合算して検算もして…といったことが行われていたようです。
―人力だったのですね。
鈴木 はい。戦時下では、敵味方移動しながらの状況でどう弾を当てるかという、弾道の飛ばし方を計算尺やら機械式計算機を応用した装置で計算していたようです。電子計算機、コンピュータの登場がこうした業務の省力化と高度化を実現する一方で、機械式計算機のオペレータの職を奪ってもいたんでしょうね。そこで、情報化は首切りにつながるものだと労働組合が反発し、55年体制下、安保闘争などで左右が対立する保革伯仲の中、いわゆる反合闘争(反合理化闘争)が起きました。
ところが、選挙で方々で革新系首長が誕生するものの、彼らもいざ首長として自治体の行政を担ってみると、戸籍にしろ、住民基本台帳にしろ、統計にしろ、全て手書き文書のままだともう事務量が膨大でどうにもならない状況に直面します。日本全体が人口増と高度成長の時代です。特に都市部では人口も激増しています。革新系で労働組合を支持基盤とした首長ですら、「情報化やむなし」という状勢でした。
そうした中で、結局、コンピュータを導入する流れになります。センターの中に汎用機を入れていますから、建屋の入退館、入退室の管理は当然ながら、安全対策管理基準を定めて、厳格に安全に使っていこうという落とし所が探られた。そこに加えて「個人情報の保護」も議論されるようになってきたという経緯があります。