製造業のDX推進において、伝統ある技術基盤をいかに進化させ、新たな価値を創造していくかが問われている。基調講演には、自動車メーカー SUBARU 執行役員 CIO IT戦略本部長 辻裕里氏と、総合重工業メーカー IHI 常務執行役員 高度情報マネジメント統括本部 本部長 福岡千枝氏の、製造業の情報システム領域を管掌する女性役員が登壇。両社の取り組みを語り合うなかで「プロジェクトの進め方」「女性役員としての挑戦」「意思決定の軸の持ち方」「パワーの源」など、リーダーシップの本質が浮かび上がった。

SUBARU:IT部門のワンチーム化 海外拠点に新CIOを招へい
辻裕里(以下、辻):SUBARUは、米フォーブス誌で「ソーシャルインパクトをもたらすベストブランド」の自動車部門1位に選ばれました。このブランド価値をさらに高めるため、お客様との絆を深めるDXを推進しています。
その核となるのが「減価ゼロ」への挑戦です。一般にクルマは時間とともに価値が下がりますが、私たちは長く乗っても色褪せない商品価値と、継続的な体験価値の創出を追求しています。実際、“スバリスト”と呼ばれるファンの方々の多くが、次もSUBARUを選んでくださる。この信頼関係こそが、私たちの目指す本質的な価値です。
この信頼を支える一つの要素が「つながる安全」です。SUBARUでは、2030年までに死亡交通事故ゼロを目指していますが、アイサイトによる事故防止に加え、万が一事故が起こった際は事故の衝撃から最適な救助体制を自動判断します。
ドライブの楽しさを追求した「SUBAROAD」というアプリも開発しています。通常のカーナビと違い、海が見える道や心地よい音が聞こえるルートなど、ドライバーの感性に響く道案内をします。実は、SUBARU車以外でもご利用いただけますので、ぜひ新しいドライブ体験を味わっていただきたいです。

酒井真弓(以下、酒井):社内のデジタル化はいかがでしょうか?
辻:社内改革の柱として「トリプルハーフ」を推進しています。生産工程数や開発日数、部品点数を半減することで、クルマの企画から完成までの期間を大幅に短縮します。また、工場の生産現場でリアルタイムにデータを扱えるようにし、データ駆動型の新しいモノづくりへと転換を図っています。
組織面では2024年春に、情報子会社の統合と技術部門の統合を実現し、真のワンチーム化を達成。さらに海外拠点のIT部門に専門人材を配置し、グローバルでの一貫したデジタル戦略を展開しています。
2年前にスタートした「3M(面倒、マンネリ、ミスできない作業)撲滅活動」も、かなりの時短につながっています。たとえ10秒でも毎日の作業が削減されると心理的負担も含めて効果が大きい。最近では、社員自身がITで業務改善できるよう、学びの場と個別支援の体制を整えています。
IHI:熟練者の“勘ジニアリング”をデジタルで進化へ
福岡千枝(以下、福岡):IHIは、日本史の教科書に出てくる「イヤでござんす(1853年)、ペリーさん」でお馴染みの黒船来航がきっかけで立ち上がった会社です。欧米列強に対抗するための造船技術は、船舶用機械の製造、そして産業用機械設備やプラントの建設へと発展し、社会インフラの担い手として成長してきました。
そんな私たちは今、大きな転換期を迎えています。2023年の「グループ経営方針」において、成長領域への大胆な経営資源シフトを宣言しました。航空宇宙分野を成長事業の柱とし、世界的課題である脱炭素に対応するクリーンエネルギー分野を育成事業としてリソースを投入しています。この変革を支えるのが、グループ全体で進めるDXです。成長事業、育成事業、中核事業、本社、それぞれの機能に最適なデジタル革新を展開しています。
その一例が、水門の管理システムです。これまでは現場技術者の勘と経験、いわゆる“勘ジニアリング”で制御されてきました。大雨が降ったら閉じ、水が減ってきたら開く。この判断の一つ一つに、熟練技術者の知恵がつまっていたのです。
しかし、これからの時代に必要なのは、その知恵をデジタルの力で進化させること。私たちは今、水門の開閉を自動化し、治水と利水を最適化する新しいシステムを構築しています。製品を売って終わりではなく、その製品の価値を最大限に引き出す管理システムまでを一体のサービスとして提供する。これが、IHIの目指す事業変革の姿です。

酒井:福岡さんはCDOにあたる役割を担っていますが、もともとは研究部門出身なんですよね。
福岡:そうなんです。社会人人生の3分の1は材料研究に費やし、その後、新規事業の立ち上げに携わり、今は高度情報マネジメント統括本部長です。研究の道で生きていきたいと思っていた時期もありましたが、今は今が楽しいです。
チャンスがきたら「YES」 自分で可能性を狭めないで
酒井:ここからは、会場の皆さんからの質問に答えていきたいと思います。
──CIOやCDOになったきっかけやターニングポイントを教えてください。
辻:ターニングポイントはいくつかありますが、前職での出来事が印象に残っています。4000億円規模の製造業で、当時は女性の役職者が一人もいなかったんです。日本IBMから転職してきた私は、男女は対等という感覚で働いていたので、きっと浮いていたんでしょうね。
ある日、先輩の女性社員が心配して「そんなに頑張ってもこの会社では女性は絶対に課長になれないから、頑張りすぎないほうがいいわよ」と親切に言ってくれたんです。でも私はそれを聞いて「もう絶対に頑張ろう」と思ったの(笑)。このままでは女性は誰も管理職になれない。だったら私がモデルケースになろうと。
むしろ、長男の嫁で二児の母という立場が、私の強みになると確信しました。「仕事と家庭の両立は無理」とは言わせない。誰もが挑戦できる道を切り拓こうと決意したんです。
福岡:私の場合は自分で壁を作っていました。結婚して子どもがいて、しかも週末婚。そんな環境で管理職なんて無理だと決めつけていたんです。だから管理職試験を勧めてくれた上司にも、「私には無理です」と。それでも「受けなきゃダメだ」と強く言われて。
今、振り返ると、ここで人生が変わりました。仕事の幅が広がり、裁量も自由度も、やりがいも増えました。皆さんにお伝えしたいのは、チャンスが来たら、迷わず「YES」か「はい」と答えてください。自分の可能性を狭めないでほしいです。

CIOは“チーフ・癒し系・お母さん”? 公私ともにプロマネを
──プロジェクトを円滑に進めるために意識していることはありますか?
辻:そもそも円滑なプロジェクトなんてあったかな(笑)。私は、CIO──Chief(チーフ)・Iyashikei(癒し系)・Okasan(お母さん)として、まず組織の中の見えない壁を壊すことから始めました。週2回1時間半の円卓会議では、肩書きに関係なく誰もが議題を挙げられて、自由に発言できる場を作っています。説明してくれた人には必ず全員で温かい拍手を送り、「否定的なことは言わない」というルールを徹底しています。
そしてもう一つ。メンバーがプライベートも含めて心から幸せに暮らしているか。これが私の一番の関心事です。仕事だけにのめり込みすぎると長く続きません。「公私ともにプロマネしよう」と伝えています。
福岡:心理的安全性は大事ですよね。私もまずはその人の良いところを褒めることから始めて、意見しやすい環境づくりを心がけています。このポジションになると、「福岡さんのおっしゃる通りです」と言われることが多くなるのです。いや、「福岡さん、そうじゃありません」と言ってくれと。
もう一つ大事にしているのが、アメリカのチームとの仕事で学んだマインドです。何か問題が起きたとき、アメリカのメンバーは「Unfortunately(たまたま残念ながらそうなってしまった)」を枕詞に報告するんです。一方、日本のメンバーは「申し訳ございません」と頭を下げてしまいがち。自分の責任でもないことまで謝る必要はありませんよね。「そこは、Unfortunatelyでいいのですよ」と伝えています。
男性が多い中、女性役員だからこそできること
──男性が多い職場で、女性役員として苦労していることはありますか? また、どのようなモチベーションで取り組まれていますか?
福岡:少数派ならではの難しさと、少数派だからこその利点が両方ありますね。私は、プラスの面を思いっきり活かしていこうと決めています。たとえば、女性同士のネットワークづくり。本音で励まし合える関係が私の原動力になっています。
辻:SUBARUは女性社員が8%、女性部長は徐々に増えていますが、女性役員は私一人です。でも、役員という立場は意外と懐に入りやすい。ほぼ全員の執行役員と月1回25分の1on1を重ね、私の考えや取り組みを皆さんにガッとインプットして情報交換をしています。そこで気づいたのが、実は男性同士のネットワークもそれほど強固ではないということ。私なりに彼らをつなぐ架け橋になれると思って、少数派だからこそできる役割を楽しんでいます。
──役職が上がるにつれて意思決定を求められる場面が増えます。経営層からの方針もあれば、社員からの声も吸い上げなければならない難しさがあると思います。その上で、意思決定の内容がブレないように意識していることはありますか?
辻:明確なビジョンを持つことです。SUBARUに入社したとき、約50人の社員に「会社のどこが好きか」というヒアリングをしたんです。おもしろいことに、悪い話は自然と集まってくるけれど、良い話は意識して拾わないと見えてこない。このヒアリングから描いたビジョンが、私の意思決定の軸になっています。
福岡:一見ブレているように見えても、本質を見失わなければ、必ず良い判断ができると信じています。特に子育てから学んだことが多いんです。今日も、子どもの具合が悪くて懇親会参加は諦めるという判断をしました。そんな日々の積み重ねが、意思決定の訓練のようになっています。
酒井:私も今ここで意思決定しました。福岡さんが懇親会まで参加できるよう、また「Enterprise IT Women's Forum」を企画させていただきたいと思います。

週末起業を経て分かったのは「組織で働くこと」のおもしろさ
──辻さんは週末起業の経験をお持ちですが、その経験は今にどう活きていますか?
辻:一番の気付きは、私は起業より組織で働くのが向いているということでした。一緒に起業した仲間たちを見て、人にはそれぞれ得意分野があることを実感したんです。書類作成が得意な人、簡単にアポイントが取れる人、みんながみんな違う才能を持っていて本当に素敵だなって。その経験があって、改めて大きな組織のおもしろさに気付きました。
今、私が特に注目しているのは「とんでもない人材」。普通のことは苦手でも、ある分野だけ飛び抜けている人材を活かせる土壌を作ることに力を入れています。100点満点を求めるのではなく、その人の強みを活かせる場所を作る。これは当社の人事戦略の柱の一つです。
──バイタリティあふれるお二人のパワーの源は何でしょうか?
福岡:好きなことに打ち込む。バレーボールや山登りなど、仕事を完全に忘れられる時間を作るようにしています。悩むと同じところを堂々巡りして良いアイデアが出てこないので、一度頭を真っ白にして、幽体離脱のように上から俯瞰してみる。そうすると新しいアイデアが浮かんでくるんです。
辻:最近は推し活ですね。仕事に没頭しすぎてしまうのを意識してメリハリをつけ、山登りの趣味や、孫とアーティストを応援する推し活を楽しんでいます。特に孫の成長が励みになっています。頑張って成長している人たちの姿を見ると、自分も頑張ろうという気持ちになれるんです。
酒井:お二人のもとで働いてみたくなりました。
LT前半:グローバル化する情シスの課題/サイバーセキュリティ組織の新設
基調講演のあとは、情報システム領域で活躍する女性リーダー5名によるライトニングトークス(LT)が開催された。様々な企業や領域で活躍する女性リーダーの奮闘とは。前編では、HENNGE People Division, Deputy Division Manager People Division - Internal IT Section, Section Manager 川竹茜氏、ヤマハ発動機 サイバーセキュリティ推進部 サイバーセキュリティ戦略グループ グループリーダー 蔦木加代子氏のLTを紹介する。
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HENNGE:マインドセット変革にも食い込んでいく
トップバッターは、クラウドセキュリティサービス「HENNGE One」を提供するHENNGEの社内情シスを牽引する川竹氏。同社は「テクノロジーの解放」をビジョンに掲げ、顧客に使いやすい形でテクノロジーを提供することを目指している。社名の「HENNGE」には、世界を変えるために自らが変化するという意味が込められている。川竹氏は、自社が直面する課題と、その解決に向けた取り組みを語った。
情シスチームは6人と小規模ながら、半数が外国籍という構成という。チームが直面する最大の課題は、クラウドサービスの活用と安全性の両立である。2019年の上場を機に、ビジネス加速の要請が高まる中、多数のクラウドサービスを安全かつ効率的に運用することが求められている。具体的には、各サービスのデータ管理方法や、従業員による利用規約の順守、生産性の確保などに力を入れている。
もう一つの課題は、2013年から実施している英語の社内公用語化だ。社員の4人に1人が外国籍で、特にエンジニアの採用では日本語能力を問わない方針を取っている。しかし実際のところ、社員の英語力には差があり、重要なところは日英併記、細かい内容は「日本語でいいですか?」となる場面も少なくなく、最終的には多様な人材の活躍の場が限られてしまうのではという懸念もあるという。AIによる翻訳支援も検討しているものの、主語を抜かすなど日本語特有のハイコンテクストなコミュニケーションが元になっているため、完全な解決には至っていないと明かす。
課題先進企業を地で行くようなHENNGEだが、自ら変化することで掴んだノウハウは、いつか大きな顧客価値につながっていくはず。川竹氏は、「情シス部門として実験的な取り組みをリードするのはもちろん、社内のマインドセットの変革にも食い込んでいきたい」と力を込めた。

People Division - Internal IT Section, Section Manager 川竹茜氏
ヤマハ発動機:2025年からサイバーセキュリティ推進部が新設
続いて登壇したのは、ヤマハ発動機のサイバーセキュリティ戦略グループリーダーの蔦木氏だ。180以上の国と地域で事業を展開し、海外売上比率が94%に達する同社では、2025年1月からIT本部内にサイバーセキュリティ推進部を新設。工場セキュリティとプロダクトセキュリティを含む包括的な体制を整備している。
1997年に新卒入社後、IT部門に配属された蔦木氏。同社の社会人女子サッカーチームでも活躍するなど異色の経歴の持ち主だ。30代でのヨーロッパでの短期トレーニング経験や、Office 365のグローバル展開プロジェクトなどを通じて、チームワークの重要性やリーダーシップを学んできた。
転機となったのは、2023年のフィリピン子会社でのランサムウェア被害。古いVPN装置の放置や復旧時の対応など、様々な課題が浮き彫りになった。「ITリスクアセスメントではA評価だったのに、なぜこうなったのか」と、リスク評価の実効性にも疑問を投げかける。
今後は、BCP強化、人材育成、生成AI活用における攻めと守りのバランスなど、新たな課題にも取り組む。グローバル共通のポリシーと各地域の個別対応の両立、スキル定義の標準化など、具体的な施策も進行中だ。
「持続可能で成長できるサイバーセキュリティ組織を目指したい」と蔦木氏。女性管理職比率が単体で数%という同社において、セキュリティ分野を牽引する存在として、その手腕が注目される。

ヤマハ発動機株式会社
サイバーセキュリティ推進部 サイバーセキュリティ戦略グループ グループリーダー 蔦木加代子氏