
今回はプログラムの著作権についてです。プログラムは何が創作物で何が創作物でないか、判断が難しいものです。一方で欧米を中心に権利意識が高まっている昨今、事前に対策を施しておくことが賢明です。裁判の事例を紐解いてみましょう。
明確な基準を設けるのが難しい、プログラムの著作権

今回は久しぶりにプログラムの著作権について事例を紹介します。開発者がプログラムの著作権を主張し、それを勝手に使われたからと損害賠償を請求する裁判は、これまでも多々ありました。私の見る限り、どちらかというと裁判で著作権を認められないケースのほうが多いようです。
またプログラムに施された工夫の、何が創作的であり、何がそうでないのかその基準を設定するのはなかなかに難しいようです。裁判所の判決も個別の事情を様々に斟酌して出され、そこに明確な基準というものが示されているケースを私はまだ知りません。
ただ世の中では、欧米を中心にソフトウェアに関する権利意識が高まっています。たとえば、日本の企業がヨーロッパのIT企業から、ある日突然高額の損害賠償を求められるという事例も発生しています。
こうしたことは、ユーザー、ベンダーに関わらず、場合によってはその経営基盤を大きく揺るがす危険をはらんでいるとも言えます。どんな企業であれ ITを利用するのであれば、こうしたことに無頓着ではいられない時代になってきたということでしょう。
そんな中で今回、明確な基準というわけではありませんが、プログラムの著作性について比較的わかりやすく示してくれた判決があったので紹介します。 内容は、開発者が自分の頭をひねってプログラムを作るにあたり、ここはどんな命令を使ってプログラムを組むのが性能が良く、保守性も高いかを一生懸命に考えた例についてです。
一生懸命に考えたのは確かなのですが、結果として利用された命令はプログラミング言語としては決して珍しくもないもので、直ちにそれを著作物とするには発注側であるユーザーも躊躇を覚える。そんな裁判の例です。まずは事例からご覧ください。
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細川義洋(ホソカワヨシヒロ)
ITプロセスコンサルタント東京地方裁判所 民事調停委員 IT専門委員1964年神奈川県横浜市生まれ。立教大学経済学部経済学科卒。大学を卒業後、日本電気ソフトウェア㈱ (現 NECソリューションイノベータ㈱)にて金融業向け情報システム及びネットワークシステムの開発・運用に従事した後、2005年より20...
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