サイバー攻撃、選挙介入……廣瀬陽子氏が語る、ウクライナ戦争におけるハイブリッド戦争の新たな展開
「サイバー防衛シンポジウム熱海 2025」レポート Vol.1

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって約3年が経過した。その中で注目されるのが、同国が展開する「ハイブリッド戦争」だ。軍事だけでなく、政治や経済など様々な面で世界情勢に大きな影響を及ぼすハイブリッド戦争では、サイバー攻撃も大きな役割を果たしている。2025年6月21日~22日に静岡県熱海市で開催された「サイバー防衛シンポジウム熱海2025」で、慶応義塾大学の廣瀬陽子 教授が登壇し、その最新動向を語った。同氏は、コーカサス地方を中心とした旧ソ連継承国の地域研究にて著名な研究者の一人であり、国家安全保障局顧問などの政府委員を歴任する。ハイブリッド戦争の舞台は戦場だけではない。本稿を読むうちに、心当たりのある出来事が思い浮かんでくるのではないだろうか。
ロシアの行動の背後にある「勢力圏構想」
まず、ロシアによるウクライナ侵攻とハイブリッド戦争を考える上で理解しておくべきが、同国の「勢力圏(Sphere of Interests)構想」だ。これは、「自国の“勢力圏”と見なす地域への他国の介入を許さず、その地域に独占的に影響力を及ぼし続ける」という考え方である。ロシアだけでなく、中国も同様の構想の下に対外施策を進めている。
ロシアにとって最も重要な「第1勢力圏」は、地政学的に近い旧ソ連諸国だ。次に重要な「第2勢力圏」として、旧共産圏および新領域が含まれている。
「旧共産圏とは、冷戦時代にソ連の影響下にあった地域を指します。そして新領域とは、現在新たに地政学の舞台となっている北極圏などを指します。地球温暖化によって北極園の氷が溶け、埋蔵資源を採掘しやすくなったり、新たな航路が使える可能性が高まったりしているためです」(廣瀬氏)
北極圏といえば、つい最近では米国のトランプ政権がデンマークに対してグリーンランドの購入を申し出るなど、ロシア以外の国も関心を強めている。
また、ロシアが恐れているのがNATO(北大西洋条約機構)やEU(欧州連合)の拡大だ。特にロシアは、NATOの拡大を“深刻な脅威”と受け止めている。
「冷戦時代には、ソ連もNATOと対抗する形で『ワルシャワ条約機構』を東欧で展開しましたが、冷戦終結にともない解体されました。しかし、NATOはその後も東方に拡大を続けているため、ロシアはこれを許しがたいと考えているのです」(廣瀬氏)
ロシアの勢力圏構想において、ウクライナはとりわけ重要な国に位置付けられる。その理由として、廣瀬氏は次の4つを挙げる。
- 両国は歴史的に深いつながりを持つ
- ウクライナ人は、ベラルーシ人とともにロシア人と民族的に近い関係にある
- ロシアから見て、ウクライナは地政学的に対NATOの緩衝地帯に位置付けられる
- 隣国のウクライナが民主化によって発展し、国民が幸せになる様子をロシア国民に見せたくない(ロシアで民主化運動に発展する恐れがある)
独裁体制を敷くプーチン大統領にとっては、特に4つ目が重要だという。西欧化・民主化するウクライナを羨むロシア国民の間で反体制の機運が高まるのを防ぐためにも、ウクライナを現状のままにしておきたいという思惑があるのだ。
NATO拡大を恐れるロシアが招いた「北方拡大」という失態
では、EUおよびNATOの拡大はロシアにどう脅威を与えているのだろうか。EUはあくまでも政治・経済の連合体だが、ロシアにとって看過できないのは、軍事同盟であるNATOの東方拡大だ。
ロシアはウクライナ侵攻前の2021年12月、NATOと米国に対して安全保障の提案を行い、その中でNATOを“1997年時点の状態”に戻すよう求めている。ロシアとNATOは1997年5月に『NATO・ロシア基本議定書』を交わしており、この中で新規加盟国への核兵器と通常兵力の配備に制限を設けることなどを表明した。
だが、その後もNATOの東方拡大は続き、1999年にチェコ、ポーランド、ハンガリーが加盟し、2004年にはかつてソ連の一部だったエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国が加盟した。そして現在、ウクライナやジョージアも加盟を希望しているが、両国が加わればNATOはロシアの裏庭である黒海にまで進出し、多くの国境線をロシアと接することになる。

そのため、ロシアとしてはこれ以上のNATO拡大を防ぎたいという考えが強く、その手段として戦争を使ってきた。2008年に米国がウクライナとジョージアをNATO加盟の前段となるNATO加盟行動計画(※1)に招待しようとした際には、ロシアは強く反発した。これに配慮したドイツ、フランスの働きかけで招待は延期されたが、その間にロシアの糸引きにもあって南オセチア紛争が勃発。さらにはロシアが介入してロシア・ジョージア戦争に発展し(※2)、そのまま両国の加盟プロセスは停滞している。
一方で、ロシアは失態も犯している。その最大の一つが、NATOの“北方拡大”を招いたことだ。ウクライナ侵攻をきっかけとして、2023年にはフィンランドが、2024年にはスウェーデンがNATOに加盟した。ロシアとフィンランドは1,340kmに及ぶ長い国境線を共有し、スウェーデンは優れた海軍力を有する。ロシアにとっては、大西洋への出口であるバルト海をNATOに押さえられる形となった。北極圏の経済開発や環境保護について協議する「北極評議会」でも、8ヵ国のメンバーのうちロシア以外をNATO加盟国が占めることとなり、地政学的に厳しい状況に立たされている。
※1:NATOへの加盟を希望する国が、加盟に必要となる政治、経済、軍事面の基準を満たすための改革を支援するプログラム。
※2:ジョージア南部に位置する南オセチアが、ジョージアからの独立を求めて起こした紛争が2008年7月ごろから再燃し、8月8日にジョージアが本格侵攻を始めたことに端を発する。この戦争後に、ロシアは南オセチアと同じくジョージア内のアブハジアの国家承認を行った。
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名須川 竜太(ナスカワ リュウタ)
編集者・ライター
編集プロダクションを経て、1997年にIDGジャパン入社。Java開発専門誌「月刊JavaWorld」の編集長を務めた後、2005年に「ITアーキテクト」を創刊。システム開発の上流工程やアーキテクチャ設計を担う技術者への情報提供に努める。2009年に「CIO Magazine」編集長に就...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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