AI、マルチクラウド、SaaSへの投資が伸びるなか、企業では「どこにいくら使い、どの成果につながったのか」を経営陣に説明することが一段と難しくなっている。2025年11月に米国マイアミで開かれたTBM Conference 2025では、TBMカウンシルとApptio、IBMが、投資判断をビジネス価値と結び付ける共通言語と仕組みを提示した。 本稿前編では、会場で繰り返し登場した財務インテリジェンス(Financial Intelligence)という言葉を手がかりに、TBMの最新動向とIBMによる実装の狙いを解説する。
TBMとApptio、そしてIBM買収の意味
TBM(Technology Business Management)は、ITやクラウド、AIへの支出を財務やビジネスの指標に翻訳し、CxOレベルの意思決定につなげるためのフレームワークである。共通タクソノミーを用いてコストとリソースの全体像を示すことで、「どのサービスがどの成果を生むのか」を説明できる。
この方法論を実装のソリューションとして提供してきたのがApptioだ。2007年の創業以来、TBM Councilとともにタクソノミーと標準モデルを磨き上げ、「Technologyによって生み出されるビジネス価値の最大化を目的とした方法論」へと導いてきた。導入当初はコスト削減が主眼だったが、今ではテクノロジー投資のポートフォリオを設計し、価値を説明する基盤として位置付けられている。
IBMが2023年におこなったApptioの買収と46億ドルという買収額は、同社がハイブリッド/マルチクラウド戦略の次の一手として、技術基盤だけでなく投資の説明力を重視し始めたことを物語る。Red Hat OpenShiftを核にしたインフラスタック、watsonxに代表されるAI基盤、そして可観測性や自動化のツール群。これらによってIBMのマルチクラウドとAIの戦略のピースは揃いつつある。しかし、それらが生むビジネス価値を経営層に説得力を持って語る言葉がなければ、投資判断の精度は上がらない。
注目すべきは、IBMがApptioをスタンドアロンのツールとして販売するのではなく、自社プラットフォーム全体に組み込む方向を選んだ点だ。つまり、テクノロジー投資のデータを一貫したモデルで扱い、財務的な文脈と技術的な文脈を往来できる仕組みを目指している。TBM Conference 2025で掲げられた「財務のインテリジェンス」(System for Financial Intelligence)は、方法論としてのTBMとIBMの実装レイヤーが相互に進化していく構想を示唆するものだった。
IT投資の「見えづらさ」をどう解消するか
今年のTBM Conferenceは過去最大規模となる1,500名超を集め、「TBM by Design」というテーマで3日間議論が続いた。CIOやCFOに加え、FinOpsやプロダクトの責任者が一堂に会した事実自体が、コスト削減から価値設計へと議論の軸足が移ったことを物語っている。
オープニングで登壇したTBM Council Executive Directorのマシュー・ガリーニ(Matt Guarini)氏は、調査会社ISGと実施した『State of TBM』調査を引用しながら、企業が抱えるギャップを指摘した。AIやクラウドへの支出が加速する一方で、「どの投資がどの成果を生んだのか」を定量的に説明できる企業はまだ少数派にとどまるという。特にAI投資では、モデル開発費やインフラ、SaaSライセンスが部門ごとに分散し、全体像が見えづらい構造が浮き彫りになった。
逆説的だが、この見えづらさこそが今回のカンファレンスに熱気をもたらした要因でもある。AI投資への期待が高まるほど、その説明責任を果たす手段が追いつかない。3年以上TBMを本格運用する企業群が、予算と実績の乖離が小さく、フォーキャスト精度が高く、投資見直しのサイクルも短いという調査結果は、共通言語の有無が投資管理の質に直結することを示している。
ガリーニ氏は、TBMを「コスト削減のツール」ではなく、「テクノロジー投資の価値を設計し検証するための設計図」として再定義する必要があると語った。同氏が挙げた五つの条件──1)変化し続けるタクソノミーを中心に据えたデータ基盤、2)ITとビジネスが協働する意思決定プロセス、3)CxOまでつながるガバナンス、4)FinOpsやAIOpsとの連携、5)AIを前提にした継続的な改善ループ──は、いずれも企業が価値を説明する能力を問うている。言い換えれば、TBMは投資管理の仕組みであると同時に、組織の対話のあり方そのものを変える試みでもある。
AIとFinOpsとの共進化
初日のセッションで印象的だったのは、登壇者たちが「削減」ではなく「選択」という言葉を使っていた点だ。限られた予算をどのビジネス能力に投じるかを見極める羅針盤としてTBMを用いており、投資を「価値のポートフォリオ」として捉える視点が共有されていた。
『State of TBM』セッションで紹介されたハイパフォーマー企業に共通する四要素——「IT支出をサービスやプロダクト単位にブレイクダウンし、ビジネス能力にトレースできること」、「IT部門とビジネス部門が共通タクソノミーを使うこと」、「CxOレベルでTBM指標に基づく意思決定が定着していること」、「ポートフォリオ全体を継続的に見直す仕組みを備えていること」──は、いずれもコストの透明性ではなく、価値の対話可能性を前提としている。ガリーニ氏がTBMを「Technology Value Management」と捉え直すべきだと提案したのも、この文脈で理解できる。
2日目のキーノートでIBM Apptioのアジェイ・パテル(Ajay Patel)氏が描いた「From Hype to High Value」というメッセージは、AI投資の現実を端的に示していた。「AIは定着すると全員が分かっている。問題は、どれだけ速く価値を引き出せるかだ」。モデルの乱立やインフラ費用、複雑な価格体系が意思決定を難しくしている現状は、多くの企業が直面する課題そのものだろう。
同氏の発言で注目すべきは、技術的負債への言及である。IBM Business Valueグループの調査によれば、負債整理を戦略的に進めた企業は平均29%のROI改善を実現したという。つまり、AI時代のボトルネックは新技術の導入ではなく、既存システムの整理にあるという視点だ。TBMは、どの負債を優先的に解消し、どの領域にAI投資を集中させるかを判断する道標になる。
もう一つの論点は、FinOpsとの役割分担である。リアルタイムのリソース最適化をFinOpsが担い、その前提となる予算配分や価値設計、ポートフォリオ調整をTBMが支える。両者は対立するのではなく、投資のライフサイクルにおいて異なるレイヤーで機能する。この共進化の構図は、AI投資の管理手法がまだ確立していない現状において、実務的な指針となるだろう。
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京部康男 (編集部)(キョウベヤスオ)
ライター兼エディター。翔泳社EnterpriseZineには業務委託として関わる。翔泳社在籍時には各種イベントの立ち上げやメディア、書籍、イベントに関わってきた。現在はフリーランスとして、エンタープライズIT、行政情報IT関連、企業のWeb記事作成、企業出版支援などを行う。Mail : k...
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