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量子コンピューターはついに実用フェーズへ IBMらが達成した実用的量子優位性、AI・量子融合の未来

「Think 2026」現地レポート

理化学研究所との共同研究でも成果 AI・量子時代の新たな脅威も

 量子セントリック・スーパーコンピューティングは、既に医療やエネルギーといった領域での課題解決に応用されている。医療および創薬の分野において、米国有数の医療機関であるクリーブランド・クリニックと理化学研究所、そしてIBMの3者による共同研究でも、大きな成果が得られた。

 創薬において、新薬の候補物質が標的タンパク質とどのように結合するかを予測することは重要だが、水分子に囲まれた状態の巨大なタンパク質をシミュレーションすることは、計算量が膨大になるため、古典的コンピューターによる計算処理では限界が見えていた。そこで研究チームは、量子コンピューターと連携させるハイブリッドアルゴリズムを用いることで、わずか10原子のシミュレーションからスタートし、303原子からなる「トリプトファン・ケージ(Trp-cage)」の解析を経て、最終的に12,635原子からなるタンパク質・リガンド複合体のシミュレーションに成功している。これは量子コンピューターを用いた生体分子シミュレーションとして過去最大の規模であり、従来のアプローチと比較して最大210倍もの精度向上を達成しているという。

 クリーブランド・クリニックのケネス・メルツ博士は、「クリーブランド・クリニックに来た当初、おそらく5年はかかると覚悟していました。しかし、理化学研究所およびIBMとの協業により、より高度なアルゴリズムを用いることで、現実のタンパク質システムでその計算を成し遂げることができたのです」と成果の意義を語る。さらに同氏は、この技術がもつポテンシャルについて次のように話した。

クリーブランド・クリニック スタッフサイエンティスト兼教授 ケネス・メルツ(Kenneth Merz)博士
クリーブランド・クリニック スタッフサイエンティスト兼教授 ケネス・メルツ(Kenneth Merz)博士

 「今回の成果で私が気に入っている点は、スケーラビリティだ。われわれは本当に大規模な計算を達成したと考えたが、実行後すぐに『まだこの3倍の規模でも可能だ』ということに気づいたからだ」(メルツ博士)

 また、エネルギー分野においては、米国エネルギー省のオークリッジ国立研究所(ORNL)が、核融合エネルギー実現の鍵となるトリチウム抽出の最適化研究を進めている。ORNLの先進技術部門を率いるサープ・オラル博士は、量子コンピューターとHPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)を組み合わせた取り組みについて、次のように説明した。

オークリッジ国立研究所(ORNL) 先進技術部門長 サープ・オラル(Sarp Oral)博士
オークリッジ国立研究所(ORNL) 先進技術部門長 サープ・オラル(Sarp Oral)博士

 「われわれが構築している新しいワークフローでは、まずHPCを用いて従来の中性子工学をシミュレーションする。そしてAIを活用することで、有望な素材候補の絞り込みを100倍高速化し、量子コンピューターを用いて高精度な計算処理を実行した。これら3つの異なる計算手法は、AIエージェントで1つのプロセスとして統合されている」(オラル博士)

 なお、IBMは2029年までに200量子ビットを備え、1億ゲートの演算が可能なフォールトトレラント(誤り耐性)量子コンピューターを実現するというロードマップを描いている。この未来において重要な役割を果たすのが、量子技術とAIの融合だ。AIが複雑な実験データから候補を絞り込み、量子コンピューターがその精緻な計算を実行するという相互補完的な関係が、科学の進展を桁違いに加速させる。

IBMとMITは協業をさらに10年間延長し、研究領域をAIから量子技術やアルゴリズム全体へと拡大。これにともない、ラボの名称を「MIT-IBM Watson AI Lab」から「MIT-IBM Computing Research Lab」へ変更する(写真は、MIT-IBM Computing Research Lab ディレクターのデビッド氏によるメディア向けセッションの様子)
IBMとMITは協業をさらに10年間延長し、研究領域をAIから量子技術やアルゴリズム全体へと拡大。これにともない、ラボの名称を「MIT-IBM Watson AI Lab」から「MIT-IBM Computing Research Lab」へ変更する(写真は、MIT-IBM Computing Research Lab ディレクターのデビッド氏によるメディア向けセッションの様子)
IBMの量子コンピューティング・ロードマップについて解説する研究開発担当のボルハ氏。2029年までに200量子ビットを備え、1億ゲートの演算が可能な初の実用的なフォールトトレラント(誤り耐性)量子コンピューターを提供するという、量子とAIの融合に向けたマイルストーンが語られた
IBMの量子コンピューティング・ロードマップについて解説する研究開発担当のボルハ氏。2029年までに200量子ビットを備え、1億ゲートの演算が可能な初の実用的なフォールトトレラント(誤り耐性)量子コンピューターを提供するという、量子とAIの融合に向けたマイルストーンが語られた

 しかし、量子技術の飛躍的な進歩は、新たなセキュリティ脅威をも生み出した。大規模な量子コンピューターは、現在のインターネット通信やデータの保護に広く用いられているRSA暗号などの公開鍵暗号を容易に解読してしまう危険性があるからだ。ガンベッタ氏は、この暗号の脆弱性について警鐘を鳴らす。

 「暗号技術は多くの場所で使用されており、単にコンピューターの暗号モジュールを取り外して新しいものにアップデートするような単純なものではない。どこに問題があるのか、何をアップグレードする必要があるのか、どのようにアップグレードを実行すべきかを把握しなければならない。将来的なIT環境の移行に向けて、今すぐ耐量子暗号へと移行すべきだ」(ガンベッタ氏)

 現在暗号化されている機密データを今のうちに収集しておき、量子コンピューターが実用化された際に解読を試みる「ハーベスト攻撃(SNDL攻撃:Store Now, Decrypt Later)」という脅威は、すでに各国のサイバーセキュリティ機関が警告を発している。

 量子コンピューティングの実用化は、もはや遠い未来の夢物語ではない。「実用的量子優位性」が証明された今、来るパラダイムシフトに対して、今すぐ対策を講じる必要がありそうだ。

 たとえば、IBMはThink 2026でAIエージェントの統制、リアルタイムデータの連携、インフラの自律運用といった現行のIT課題を解決するための「AIオペレーティングモデル(AI Operating Model)」を提唱しているが、この延長線上に量子コンピューターがもたらすパラダイムシフトを組み込み、ビジネスモデルを根本から変革するためのグランドデザインを描くことも必要だろう。

 既存のハイブリッドクラウド環境と量子システムをどのように連携させ、自社ビジネスや業務プロセスを変えていくべきか。そして、迫り来る耐量子暗号の実装をITモダナイゼーションとあわせてどう完遂していくのか。これらを全社的なITアーキテクチャ戦略の一環として捉え、今この瞬間から取り組みを進められるかどうか。これこそが、来たる量子時代における企業の競争優位性を決定づけることになる。

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この記事の著者

岡本 拓也(編集部)(オカモト タクヤ)

1993年福岡県生まれ。京都外国語大学イタリア語学科卒業。ニュースサイトの編集、システム開発、ライターなどを経験し、2020年株式会社翔泳社に入社。ITリーダー向け専門メディア『EnterpriseZine』の編集・企画・運営に携わる。2023年4月、EnterpriseZine編集長就任。

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

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