「グローバル・スタンダード」が引き起こしたERP導入ブーム
我が国において、少し昔に「ERPを導入すること」が、大企業を中心にひとつのブームとでも呼ぶべき現象にまでなったことについて、今更異論をはさむ人は稀であろう。その最盛期は、バブル崩壊の焼け跡から新たに登場した価値観が指し示す方角に向かって、多くの企業が舵を切り始めた時期とほぼ一致する。時は1995年あたりから2000年を少々超えた頃。
その新たな価値観は「グローバル・スタンダード」と呼ばれた。
そもそもERPが何故海外(特に米国)であれほどまでに急速に普及したのか。ひとことで言うと企業の成功の方程式が変わったからである。経営情報を早く正確に開示すること、スムーズな企業合併や流動化する人材のためにオープンで共通な情報基盤を短期間で稼動できること、世界規模で活動を行うグループ企業の経営情報を瞬時に把握できること、これらの要素が成功を支えるための企業システムの前提条件になったのである。こうして基幹システムは企業毎の特長を残すことをやめ、全てを統一化する方向に大きくドライブされていく。これを強力に推進する装置がERPであった。
そして、この流れの中で、企業人もその姿を大きく変えていくことになる。「専門的能力に長けた個人」としてのビジネスマンが成功を支える一方の主役であり、インターネットの普及と歩調を合わせるように、企業を渡り歩き最終的に自ら起業するような「個人」が脚光を浴び始める。最近流行の「Web2.0」が前提とする人間像も、まさにこうした優秀な個人である。
この是非を論ずることはひとまず置くとして、日本におけるブームも正しくこの流れに乗ったものであったのだろうか?
「2000年問題」の解決をERP導入プロジェクトに求めた日本企業の混乱
日本では、特にITの世界では、面白い流行が起きることがある。そもそも流行とはそれなりの素地を必要とするものだ。それは、法的な整備や社会システムの基盤であり、あるいは人間の意識である。
1995年頃から数年の間にはERPだけではなく、他にも3つのことが流行した。それは連結経営とSCMとECである。今から思えば当然のことなのだが、これらは順を追って登場してきたものであり、それなりに年数をかけながら欧米で試行錯誤されてきたものであった。個々の企業がERPを導入しオープンな環境で経営情報を管理していることがそもそもの大前提。そして一企業だけではなくグループの経営情報を把握できるシステム基盤を持ち連結ベースでの経営管理を実現できていることが第2段階。さらに、資本関係はなくともバリューチェーンを形成する企業群が、必要情報を開示・交換し合い、「チェーン全体としての連結経営」を実現することが第3段階といった具合に。
本来であれば順を追って実現すべきことが、ひとかたまりで日本に輸入されたために混乱が生じ、地道な検証を待たずしてその大半が一過性の流行の中に埋没してしまったことは記憶に新しい。
それでもERPは導入された。ではどのようにして? そしてその結果何が起こったのか?
その頃日本企業を悩ませていた大きな問題があった。「2000年問題」である。企業はこれを同時に解決することをERP導入プロジェクトに求めた。その結果として既存システムの分析に多くの時間と費用が割かれることとなった。
また「コアコンピタンス」と「アウトソーシング」という言葉に象徴されるとおり、多くの企業ではバックオフィス業務に携わる人員を大幅に削減した。つまりERP導入を進める企業は「優秀な業務マン」がかつてほど存在しない状況下にあった。
業務の本質を理解しないメンバーを中心にしたプロジェクトでは現場の業務プロセスと既存システム機能の多くが混同され、積み上げた要件定義書から導き出されたパッケージ機能とのGap率は平均で70%を超えた。多くの企業がそのままGapを埋めるべく大規模なアドオン開発に踏み切ることとなった。
稟議書上には、(欧米で言う)本来のERP導入目的が明解に記載されていたが、巨大な会計データベースを構築したところでほとんどの企業は体力を使い果たした。連結子会社にそのまま展開する計画も大半は白紙に戻された。
新たに作り上げられた基幹システムは、ある意味では旧システムよりも大きなブラックボックスとなった。何故ならば、構築したメンバーも、運用するメンバーも、その大半が外部の企業の技術者であったからである。こうして、少なくとも基幹システムという領域から「カイゼン」という概念が消えた。