国内最大規模のパブリックDMPを提供するインティメート・マージャー、同社の代表取締役 簗島亮次さんは、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに通う大学1年の時から、知人と起業し会社経営に携わっていた。それと並行して通信機器を扱う企業では「社長の鞄持ち的なことや、通信機器の営業も経験しました」と言う。職は変われど、常に「データ」に向かい合ってきた簗島さんの軌跡をたどった。
数学でできるクリエイティブなこと

常にデータを向き合ってきた
営業の仕事をしていた時に、どうせならば自分の好きなものを売りたいと考えた。そこからは、ものづくりにも興味を持つことに。また営業の仕事でもう1つ感じたのが、効率化のプロセスを考えれば確実に成果が上げられること。「営業電話をかけるごとにデータをとり、どうすれば成約に至るのか、そのプロセスを考えていました。けっこう楽しかったですね」と振り返る。
簗島さんがこれらのことを大学の1、2年時に経験していたのには驚かされる。とはいえ湘南藤沢キャンパスでは企業家を育てる方針もあり、これを特別なことだとは思わなかった。大学3、4年では自分でものを作れるようになるためにプログラミングを勉強する。さらに、1年時から所属していた生命情報科学のゼミの研究にも取り組む。生命情報科学はデータを使い解析を行う世界だった。解析は複雑でデータ量も多く、ここでもRやPythonを用いたプログラミングは必要だった。
ところで当時は「データが使える = 数学が得意」で、そういった人は「クリエイティビティがない」とのイメージがあると思っていた。それに反発するように、データを使いクリエイティビティのあることをしようと考えた。チャレンジしたのが、データを使い短歌を作ること。実際にデータを駆使し短歌を生み出しそれを「ドラえもん短歌コンテスト」に応募、見事入賞できたのだ。他にも、データを使った作曲にチャレンジした。これらの経験で、みんなに共感されるようなクリエイティビティのあるものを、データを使って作れることが分かった。
その後は大学院に進み、脳科学の研究を行う。テーマはアルツハイマーに関するもの。ここでもデータとアルゴリズムを活用した。大学院時代も学術研究だけでなく、さまざまなことにチャレンジする。たとえばオペレーションリサーチ学会のデータ分析コンテストに参加、そこでは優勝も果たす。他にも海外のデータ分析コンテストで3位に入った。
「大学3、4年時は自分の可能性を広げる時期で、大学院時代は得られた能力で他の人と競い合うことをやっていました」(簗島さん)
学生生活全体を通し、データを武器にさまざまな活動をしてきたことになる。
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谷川 耕一(タニカワ コウイチ)
EnterpriseZine/DB Online チーフキュレーターかつてAI、エキスパートシステムが流行っていたころに、開発エンジニアとしてIT業界に。その後UNIXの専門雑誌の編集者を経て、外資系ソフトウェアベンダーの製品マーケティング、広告、広報などの業務を経験。現在はフリーランスのITジャーナリスト...
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