グローバル人材企業のCIOに根付く「アーキテクトの経験」と「最悪に備える前始末の精神」
第42回:ランスタッド 常務執行役員 IT本部 CIO 林知果さん
事業会社で得た“最悪の事態を想定”する「前始末」が根底に
酒井:ここからは林さんのキャリアについてうかがいたいのですが、大学では美術や考古学を学ばれていたそうですね。
林:就職活動のときに、IBMが世界中の美術作品をインターネットで公開するプロジェクトをやっていると知って。人文学にこういう貢献の仕方があるのかと興味を持ったのが入り口です。そこからEコマースの立ち上げに関わるうちに、気づけば美術からは離れていました。美術への憧れはずっとありますけど、IBMのすごく優秀な女性の先輩たちがみんな「(仕事と業務は)切り分ければよろしいのよ」とおっしゃっていて、好きなことは趣味として大事にしようと割り切りました。
酒井:IBMには19年いらっしゃいましたが、その後、事業会社に移ったのはなぜでしょうか。
林:ベンダーの立場では提案はできても、最終的に決めるのはお客さまです。自分で決めて動かせる側に行きたかった。ファーストリテイリングでは、今の土台になっている考え方を叩き込まれました。中でも一番大きいのが「前始末」という考え方です。何か起きてから慌てて後始末するのではなく、ありとあらゆることを想定して先に手を打っておく。
今もリリース前には毎回「最悪の事態って何?」ということを自問します。その事態を防ぐにはどうするか。工数が足りなければ、別の案件を1ヵ月止めてでもこちらに集中する。そういう判断を前もってやっていく。「最悪を想定して計画し、楽観的に実行する」。よく言われていることですけど、本当にそうだなと。
酒井:その後セールスフォース、アダストリア(現アンドエスティHD)と、ベンダーと事業会社を行き来されています。ランスタッドで生かされている経験はありますか?
林:ずっとデジタルでやってきた人間なので、紙で回っている業務を見ると「それ、デジタルにしませんか」とつい言いたくなってしまいます。ランスタッドに入社して驚いたのが、「うちのお客さんは紙が好きなんだよね」という声がまだ結構あったこと。少し前はそうだったのかもしれませんが、今はみんながスマホを持っている時代です。既成概念で決めつけないほうがいい。
前の会社で、返品手続きを紙からデジタルに変えたことがあります。最初は結構反対意見もあったのですが、お客様とスタッフのためになる、と押し切って実施したことがあります。自由記述式だと、お客さまは強い言葉で不満を書かれることが多かった。でもデジタルに切り替えるときに「丈が合わなかった」「色がイメージと違った」と選択式にしたら、感情的な言葉がぐっと減ったんです。届く声の質が変わると、受け取る側も冷静に改善に回せる。お客さまにとっても、現場にとっても、良い循環が生まれました。デジタル化って、業務を効率化するだけじゃなく、コミュニケーションの質そのものを変えられる。それが自分の中での原体験になっています。同じことをこの会社でもやりたくて、今少しずつ動かしているところです。

裁量が広がっていくことが楽しい 目の前に来た“馬車”に乗る勇気を
酒井:最後に、ITリーダーを目指す女性や若手に向けて、どんなメッセージを送りたいですか?
林:正直、ここまで戦略的に来たわけじゃないんです。バラ色のプロジェクトばかりではなくて、ご迷惑をおかけしたことは何度もあります。でも、何度も立ち上がって頑張ろうとしていると、次のチャンスをくれる人が必ずいる。一度上手くいかなかったからって、終わりだと悲観する必要はないんです。自分が情熱をかけてやるものに関しては、次にチャンスが巡ってきたときにそれを逃さない準備をしていけばいい。
酒井:林さんは、どこかでCIOになることを意識した瞬間はありましたか。
林:まったくなかったです。私はアーキテクトという仕事がとても好きで、今も半分は自分のことをアーキテクトだと思っています。ただ、いろんな会社でポジションをいただいて裁量が広がっていくと、それはそれで楽しい。家のリフォームで言えば、キッチンだけじゃなくて家全体を変えていいですよと言われるようなもので、そう考えれば管理職も構えなくていいのかなと。
酒井:AIがどんどん進化していく中で、リーダーに求められるのは何だと思いますか。
林:生成AIはかなり寄り添ってくれますし、励ましてもくれます。でも、本当の意味で人の心に火をつけられるのは、まだ人だと思っています。リーダーシップをとり、人と向き合う。そこにはまだまだ人の出番があります。
ライフステージによって、情熱のすべてを仕事に傾けられない時期もあると思います。でも、そのときの自分ができる全力でやることで開ける道は絶対にある。だから、目の前に来た“馬車”には乗ったほうがいい。「あなたならできるんじゃない?」と言われたら、「頑張ります」と言ってとりあえずやってみる。それだけで次のステップに行けるんじゃないかなと。
酒井:素敵な考え方ですね。目の前に来た馬車に、私も乗りたいです。
林:馬車はきっと来ます。長いキャリアの中の、どこかで。

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酒井 真弓(サカイ マユミ)
ノンフィクションライター。アイティメディア(株)で情報システム部を経て、エンタープライズIT領域において年間60ほどのイベントを企画。2018年、フリーに転向。現在は記者、広報、イベント企画、マネージャーとして、行政から民間まで幅広く記事執筆、企画運営に奔走している。日本初となるGoogle C...
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