「改革は革命より難しい」
混迷を極める日本の政治「失われた20年」という言葉で代弁されるように、バブル経済がはじけて以来、日本国の政治・経済は混迷を極めながらも、その時々のな かで最善の努力を重ね、危機を乗り越えてきたと感じる。去年8月30日には自民党長期政権が60年ぶりに幕を閉じ、民主党への政権交代が実現した。多くの日本国民は民主党に対して、何かしら国民に希望を与えてくれるだろうと期待を膨らましていたことだろう。
しかし、現実はそれほど甘くなかった。華々しく誕生した民主党・社民党・国民新党の連立政権だったが、沖縄の基地移転問題をき っかけに社民党の連立離脱が起こり、それがきっかけで一年も経たずに鳩山内閣は降板を余儀なくされた。
安倍政権から何代も続く1年政権の悪しき伝統が民主党政権下でも続き、新しく誕生した菅内閣は民主党内の内紛や、消費税率の引き上げ問題など様々な問題から国民からの熱き支持が急冷し参議院選挙での惨敗を余儀なくされた。 その上に東日本大震災や福島第二原発対応に対する対処能力の限界を指摘され、ついに内閣不信任案が国会で議決される始末に落ちた。
不信任案はなんとか否決に終わり、少しは前に進むのかと思いきや、今度は総理自身の進退をもって、辞める、辞めない話で改めて政局は混乱の地に落ちてしまった。さらに脱原発の問題や停止中の原発の安全性の問題など、さらに揉めに揉めている様相だ。 「いったいこの国はどうなるのだろう?」と悲観する国民が多いと思うのだが、冷静に考えれば、政権担当経験がない万年野党がいきなり政権の座に就いたとして、すぐさまに何かが変わると期待するほうが甘くないだろうか。
日本は長年の間、政治家と官僚組織、そして経済界も含めて、協力なのか、癒着なのかさらに社会全体の最適化なのか、部分最適なのかの議論は別にして、それなりの役割分担をして、この国を世界第二位の富国として成長させ、運営してきたはずである。
日本の文化を「和の文化」とも言うが、この言葉を穿った解釈でとれば「談合」にも近い気がする。近年では、それらから波及する様々な弊害が明らかになりつつある。政治家は政治家として、公務員は公務員として、業界は業界として、国民は国民としてそれぞれの既得権益 を守るために、あらゆる手段を動員して社会を蝕むことになる。だからこそ、それらを打ち破り改革を行わない限り、さらなる国の発展は難しい。もちろん、日本国民がそのように願ったからこそ、政権交代が実現したのだろう。
しかし、その長年にわたり定着された固い既存の仕組みが、政権が変わったところで、突然がらっと変わるわけがない。だから賢者は皆「改革は革命より難しい」とまで言っているのだ。 (次ページへ続く)