というわけで、出張と執筆に明け暮れていたらいつの間にか5月も20日を過ぎていたわけですが、今回は5月中旬に米オーランドで行われたSAPの年次イベント「SAPPHIRE NOW 2013」からネタをお届けしようと思います。昨年も参加させていただいたSAPPHIRE NOWですが、今回は新製品の発表よりもSAPの今後のビジネスの方向性がはっきりと示されたことが印象的でした。その方向性とは大きく2つ - SAPはBtoBからBtoBtoC企業、コンシューマのライフスタイルを支えていく企業へと変わっていくこと、そしてその変化を含めてSAPのイノベーションを支える基本プラットフォームはSAP HANA(以下、HANA)に集約すること、これがSAPPHIRE NOW 2013でSAPが最も伝えたかったメッセージだと思われます。
DB Onlineの読者の皆様であれば、SAPが開発したインメモリデータベース技術としてのHANAの記事を何度も読んだことがあるかと思います。ですが、HANAはもはや単なるインメモリデータベースではなく、SAPの全製品の基盤となるプラットフォームへとその位置づけを大きく変えました。これまでHANAはビッグデータ分析など主にOLAPの領域で語られることが多かったのですが、今回のSAPPHIRE NOWではついに「SAP Business Suite by SAP HANA」が発表され、SAP ERPやSAP CRMといったOLTPアプリケーションの分野でもHANAが本格的に稼働することが明らかになっています。ちょっと意地悪な見方をすれば、これまでSAPアプリケーションを支えていたOracle Databaseがピンチ!という事態でもあるのですが、まあその話はあとでまた。
HANAの最大の特徴はそのパフォーマンスにあるといわれています。ですがその高速性ゆえ、HANAに対するさまざまな誤解が生まれることになってしまいました。SAPの今後を支えるプラットフォームがdisられるのは絶対に我慢ならん! と立ち上がったのがSAPの創業者であり、HANAのデザインを最初に考案したハッソ・プラットナー博士です(以下、敬愛の念を込めてプラットナー先生と呼びます)。世界中のSAP関係者から深くリスペクトされるビジョナリー的存在のプラットナー先生ですが、我が子同然のHANAが悪口、それも競合他社からdisられるのはどうにも耐えられないらしく、"HANA"でググってはどんな内容のことを言われているのか、細かくチェックしているそうです。世界でも指折りの巨大ソフトウェア企業の70歳近い創業者がエゴサーチライクなモニタリングに余念がないというところに、プラットナー先生のHANAに対する並々ならぬ愛情を感じます。開発者はかくありたいものですね。ちなみにクエリには"SAP vs Oracle"などと入れてるそうです。
というわけで、プラットナー先生みずからがネットから掘り出してきたHANAに対するdisり攻撃、じゃなく"迷信"(Myths)の数々がSAPHHIRE NOW 2013最終日のクロージングキーノートにおいて明らかになりました。ここではその内容とプラットナー先生の反撃ぶりを見ていきたいと思います。
プラットナー先生かく語りき
・迷信その1: HANAは仮想化できない … まったくもって事実と異なる。HANAはちゃんと仮想化できている。世界最大のパブリッククラウドのAWS上でHANAが稼働しているのが何よりの証拠。そもそも仮想化するのは大きなコンピュータリソースを分割して、小さな企業や部門でも必要なだけ使えるようにするためで、500億ドル規模の企業でHANAをちまちまと仮想化して使う必要なんてないでしょ。そのまま使えばいいんだから。
AWS上で稼働する「SAP HANA One」はスタートアップやSMBなどを対象にしたサービスで、企業規模にあわせてHANAを使いたいユーザには最適といえます。エンタープライズ向けのHANAクラウド環境としてはSAPPHIRE NOW 2013の1週間ほど前に「SAP HANA Enterpise Cloud」が発表されました。プラットナー先生が言われるようにリソースを分割して使うHANAというよりは、オンプレミスから離れたマネージドサービスなHANAという感じです。ちなみにHANAはVMwareやKVMといったハイパーバイザにも対応しています。
・迷信その2: HANAはプロプライエタリなハードウェアの上でしか動かない … Intel x86アーキテクチャに準拠しているし、IBM、Dell、Cisco、富士通、日立、Huawayなど数多くのハードウェアベンダがOEMでハードウェアを製造している。これらは全部、Intelのリファレンスアーキテクチャに沿ったもの。オープン以外にありえない。
HANAはもともと、プラットナー先生と先日Intelをリタイアしたオッテリーニ前CEOが「ムーアの法則を証明する、マルチコア時代にあった新しい高速データベースを作ろう」と意気投合したことが開発のきっかけだといわれています。まだ「High Performance ANalytic Appliance」と呼ばれていた最初のHANAアプライアンスリリースからIntelとともに開発を進めてきており、その協力体制はいまも続いています。
・迷信その3: HANAはマルチテナンシーをサポートしない … そうではない。もともとSAPは1976年からマルチテナンシーをドイツの企業に提供してきた。だがそれはどちらかといえば小規模なワインメーカーや農場経営者のためのもので、大企業ユーザはプライバシーや競争優位の考えからマルチテナントを避ける傾向にあり、それはいまもあまり変わっていないと思う。だが買収したSuccessFactorsやAribaといったSaaSはマルチテナントに対応しているし、SMB向けのクラウドERP「SAP Business ByDesign」もマルチテナンシーで動いている。ちゃんと必要に応じてサポートしているから。
ここだけちょっと歯切れが悪くなるあたりがプラットナー先生らしくて筆者は逆に好感がもてます。最近はどのデータベースもクラウドを意識してマルチテナンシーを実装する傾向が強くなっていますが、プラットナー先生はどちらかというと「そのうちデータは全部インメモリに載ることになるんだから、マルチテナンシーじゃなくてもいいんじゃね?」という考え方でおられるようです。まあ、大企業がセキュリティ上、マルチテナントを嫌うというのも事実だし、そうした企業が長年のメインユーザだったわけですから、あまりHANAのマルチテナンシーに重きを置いていないのは迷信ではなく本当なのかもしれません。
・迷信その4: HANAはすべてのデータをDRAM上に置いている … 電源をオフにしたらインメモリで処理していたデータがすべて消えてしまうとでも言いたいのだろうけど、違うから。ちゃんとSSDに保存される。それも1/6くらいのサイズに圧縮して。
インメモリデータベースの場合、揮発性メモリのDRAMにデータを置いてある以上、不意のシャットダウンなどにどのように対応するのかがユーザとしてはやはり気になります。これに対し、HANAはパーマネントストレージにSSDを採用してバックアップを取っています。データの処理はすべてインメモリで行いますが、並列してバックアップを書き出しているわけです。プラットナー先生は何度もこの手の疑問をぶつけられるらしく、多少めんどくさそうな感じが…。
・迷信その5: HANAはビジネスを破壊する存在である … まったくもってナンセンスな言いがかり。我々はたしかにHANAによってデータのストアの方法を変えた。しかしデータの定義そのものは変えていない。データレイヤに対しては変化をもたらしたかもしれないが、アプリケーションレイヤには何の影響も与えていないし、アプリケーションの書き換えも必要ないはずだ。むしろHANAはデータをシンプルに、扱いやすくしたと思うがね。
ここはかなり強い口調できっぱりと否定したプラットナー先生。破壊的(disruptive)という表現はかなりお嫌いのようです。かつてERPのR/3でもって企業ITの世界を大きく塗り替えたSAPですが、そのあまりの革新性ゆえ、やはり"破壊的"なソフトウェアと表現されることが多かったようです。そうした経験があるからこそ、HANAは既存のビジネスを破壊しないということにプラットナー先生は人一倍こだわってきたフシがあります。無責任に"HANAはディスラプティブ"などとdisられればイラッと来るのも当然かと。
・迷信その6: HANAは本番環境に耐えられない … (だまって以下のスライドを映し出したプラットナー先生。会場からはもちろん喝采)
「HANAでまともに動くアプリケーションなんかない」という某社方面からのdisったーに対抗するには実績を見せるのがいちばん! ということで何百社ものロゴをスライドに映し出したプラットナー先生。データはウソをつかない、ファクトこそ重要というフレーズが自然と思い浮かんできました。きっとドヤ顔してたんだろうな…と思いつつ、それもまた微笑ましいものです。
・迷信その7: HANAはSAPアプリケーションしか動かせない … この中傷は私の心を本当に、本当に傷つける。HANAのユースケースの60%以上がSAPアプリケーション以外で動いている。そしてSAP以外のアプリをビルドしてビジネスをローンチしたスタートアップも400社以上に上る。
HANAがSAP以外のアプリを動かせないという話はたまに耳にすることがありますが、プラットナー先生の言うとおり、プランニングやスケジューリングの最適化を提供するOptessaやモバイルゲームプラットフォームの開発を行うHyperBaseなど、世界中のベンチャーがHANAを使ってビジネスをスタートさせています。ビジネスのスピードにこだわる彼らが超高速性を誇るHANAを基盤データベースに選ぶのは自然の成り行きと言えますが、それとは対照的に旧弊な企業の先入観はなかなか拭えないようです。プラットナー先生をかなしませないでほしいなあ…。
・迷信その8: HANAは古いタイプのカラムナーストアを採用している … あ、それは本当だから!! もう20年前のコンセプトだよ。だいたい我々がSybaseを買収した理由ってカラムナーストアのパテントをまるごともっていたからだから。これは必ずあとから役に立つはず。
なんと、これは迷信ではないと。しかもその欠点を埋め合わせるためにSybaseを買収したというプラットナー先生の告白に、会場もプチびっくりの状態に。もっとも20年前の時点ですでに列指向データベースの時代が来ることを予見していたという点はさすがです。それにしても今回のSAPPHIRE NOWではほとんどSybaseの話題を聞くことがなく、プラットナー先生のキーノートでようやく耳にした程度でした。今後、SybaseはHANAとの連携/統合をどう図っていくのかが気になるところです。