神谷さんの出身は経済学部。コンピュータ科学やプログラミング経験はないものの、最初からIT企業に就職した。IT業界を選んだ理由は就活当時「今後はシステムエンジニアが不足する」と聞き、職種に将来性があると見込んだのだ。
最初の会社ではアプリケーション開発に従事した。アプリケーションでデータベースとの接点はあったものの、データベースへはアプリケーションからODBCなど標準的なアクセスをする程度だったのでデータベース技術に深入りすることはなかった。
世界から集まった優秀なエンジニアたちと一緒に働きたい
数年過ぎると転職の勧誘があった。候補となった企業には外資系ITベンダーがいくつか並び、その中で神谷さんはマイクロソフトともう1社で悩んだ。いずれも自社のソフトウェア開発と関わりが持てそうな環境があった。最終的にマイクロソフトを選んだのは「製品へのソースコードにアクセスできる可能性が高かったから」。
一般的にソフトウェア製品のソースコードにアクセスできるのは限られた開発チームのみ。外資系企業だと日本法人のスタッフはマーケティングやサポートが多く、開発に直接関わることはあまりない。あるとしたら転勤して海外の開発チームに合流するという形になるだろう。マイクロソフトなら日本で勤務するスタッフでもある程度ソースコードにアクセスできるという話だった。
ソースコードに限らず、マイクロソフトの開発環境や社風が魅力的だったと言えそうだ。マイクロソフトにはグローバルな開発コミュニティのような側面がある。マイクロソフトの開発チームには世界中から優秀なエンジニアが結集しており、SQL Serverだけではなく、Windowsや各種製品を作りあげている。面接を通じてそうしたマイクロソフトの社風や環境を知り、神谷さんは魅力的に感じた。「(そうした優秀な開発者たちと)一緒に仕事をしたい」という気持ちがマイクロソフトを第一候補にした。
ただし神谷さんは大きく固執しているわけではなかった。「だめなら、やめよう」。入社前は「合わなくて3年程度でやめることもあるかもしれない」と長続きしないことも想定していた。
ところがもう入社から20年近くたつ。神谷さんがマイクロソフトに入社したのは1997年。入社前の交渉では担当製品の候補にはデータベースとOSがあった。最終段階で「データベースでいいですか?」と打診があり、神谷さんは承諾した。