2009年に行ったリーン&アジャイルへの全面シフト
――会社概要からお伺いしたいのですが、ブラジルに本社を置く会社ということで、日本ではまだ知る人ぞ知る存在です。どんな変革を経験して今に至るのか。社員として体験した変化などに触れつつご紹介ください。
川渕:私たちは25年に及ぶ会社の歴史の中で、エンドツーエンドで企業のDXを支援するための知見を蓄積してきました。現在の社員数は全世界で3,000人を超え、コンサルティングだけではなく、開発や運用だけでもなく、ビジネス課題の特定からテクノロジーの実装まで支援できる体制を整えています。日本にオフィスを開設したのは2009年のことですが、ブラジル本社の他、米国、カナダ、英国、ポルトガル、中国、豪州にオフィスを構えるグローバル企業です。様々な業種のお客様を抱え、定着率が96%と非常に高いのが特徴です。
橋永:転機になったのは、2006年の米国Yahoo!からの依頼で受けた案件でアジャイルの方法論を導入したことでした。当時はまだ社員数が1,000人ぐらいの頃でしたが、やってみたらチーム全員がやる気に満ち溢れて、活き活きとして仕事に臨むようになったんです。アジャイルを経験した社員たちが「もうウォーターフォールには戻りたくない」と言うまでになり、両方を維持するのは複雑性が高まる。じゃあ止めよう。全部で変えようと日本だけではなく、全世界でアジャイルに切り替えたのが2009年のことでした。
川渕:CEO自身の意識改革が大きかったと思います。新しい方法論を学び、ウォーターフォールとの共存はできないとわかったんですね。
橋永:同時にアジャイルだけでなく、トヨタ発祥のリーンの考え方を導入し、現場への権限移譲を進めることにしました。これまではトップマネジメントが何をするかを決める会社だったのを、現場のみんなが共に考える会社にしようと考えたんです。日本に拠点を作ったのも同じ頃でしたが、実は初期の組織はパートナーと設立した合弁会社からスタートでした。当時の日本はまだアジャイルの考え方が普及していない頃です。中国に開発を任せて日本はもっと上流をという役割分担だったのですが、日本でも本格的にリーン&アジャイルをやろうと株式を買い戻し、再出発を切ることになりました。
川渕:元々、日本支社の設立にあたっては、グローバル企業の日本支社を支援するビジネスを有望視していましたが、壁にぶつかりました。また、日本ではエンタープライズアジャイルはまだリスクが高いと思われていた頃でもあり、ブラジルと米国がやっていたように、中国とのニアショア開発の案件を多く手掛けていたんです。時代の流れで、中国が独自に成長してきたのはご存知の通りです。徐々にアジャイルが盛り上がり始め、日本に拠点を作ってから8年後ぐらいに合弁を解消しました。