新大統領令から読み取れるトランプ氏の意図
2025年1月20日、トランプ米大統領は「人工知能の安全・安心・信頼できる開発と利用に関する大統領令」を撤回しました。この大統領令は、2023年10月にバイデン前大統領によって発令されたもので、AI開発企業や連邦政府機関などに対して、AIに潜むリスクに対処しつつ、安全かつ安心してAIを活用するための具体的な施策を示しています。なかでも「AI技術の安全・安心の確保(Ensuring the Safety and Security of AI Technology)」のセクションでは、基盤モデルの開発者に対し、レッドチームの実行結果を連邦政府と共有することや、米国国立標準技術研究所(NIST)が策定したAIリスクマネジメントフレームワークを適用することなどが求められていました。一方で、これらの厳格なリスク評価はAI開発企業や連邦政府機関の負担が大きいことからイノベーションの足かせとなる懸念もあり、全面的な支持を得ていたわけではありません。
そして、この大統領令を撤廃した3日後にはAIに関する新しい大統領令が発令されました。この新しい大統領令は、アメリカのAI分野での「世界的優位性の強化」を主な目的としており、「人類の繁栄、経済競争力、国家安全保障」を促進することに焦点を当てています。
筆者が所属するCisco内のAI政策専門家は、新しい大統領令について以下のように述べています。
「この命令は、以前の大統領令と比較すると“継続性と類似点”が見られるものの、大きな違いとして、AIガバナンスの『倫理的側面』に対する重点が弱まったことが挙げられる。特に、バイデン政権の命令が、偏りや差別を検出する条項での公民権的なトーンを理由に一部で否定的に捉えられたことは対象的なものだ。バイデン前大統領は、国防生産法を利用して特定モデルのテスト情報を企業から政府に提供させるよう求めたが、これが保守派の間で『行き過ぎ』と批判された背景もあり、新命令はそうした議論を回避している」
新しい大統領令は簡潔であり、具体性に欠けている部分がありますが、イノベーションの推進と、AI開発者が従うべき規制や安全性のテストへの義務を取り除くことを急ぎ公表することに強い思惑があるように筆者は感じます。大統領令は方針の大枠を示していくものですから、米国政府機関やAI開発者にとって、この大統領令が実際にどういう影響を与えるかは、具体的な実行計画などの詳細を待つことになるでしょう。
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規制の撤廃がかえってAIリスク対応を複雑化?
では、今回の大統領令撤回をはじめとする米国のAI政策の転換が、AI市場にどのような影響を与えるのか考察してみます。
まず、バイデン前政権が推進していたNISTを中心とするAIリスク管理の国際標準化は、この撤回によって停滞することになるでしょう。その一方で、各州では独自のAI規制が次々と成立しています。たとえば、カリフォルニア州ではAIによる肖像権の無断使用を保護する法律が施行され、ニューヨーク州ではAIが雇用差別を防ぐための法律が導入されています。また、コロラド州ではAI全般を対象とする包括的な規制法が施行される予定です。これは、AI技術の急速な発展にともない、AI活用が足元で広がるなかで、連邦政府での法規制の成立の動きよりも早く実務的なルールを敷くことの必要性が高まっていることが要因と考えられます。
しかし、州ごとに法令・規制が乱立すると、その差がわずかだとしても、企業は個別に法規制への対応を迫られることになります。そして、恐らくその労力は少ないものではありません。実務的な視点からは、最大公約数を取ることで、包括的なAIリスク管理の戦略を立てていくことが最適解となる可能性も高く、結果として、AIリスク管理がより重要で負荷の高い取り組みになると考えられます。そうなれば、各所で大小様々なAIリスクに起因するインシデントが発生する可能性も高まるでしょう。