塩野義製薬が挑むAI活用と医療倫理の両立/生成AIによるメディカルライティングの実践
塩野義製薬「SHIONOGI DATA SCIENCE FES 2025」レポート
課題は図表崩れやプロンプト設定の難しさ
アジャイル開発手法を採用して進めているため、「最初の3ヵ月のスプリントで、さまざまな課題に直面した」と松野氏は打ち明ける。図表が崩れる、生成AI独特の表現になるなどだ。表現については、ある程度の制御はできても、100%満足できる品質の生成を実現することは難しいという結論に至った。記載すべき試験特有の項目は、事前にプロンプトを設定しておくことができない。メディカルライティング部門の人たち自身でプロンプトチューニングができる仕組みを整えようと改良を続けている。

共同プロジェクトを進める過程で、松野氏はコミュニケーションの重要性を実感したと話す。例えば、CSR作成支援でLLMの出力結果をメディカルライティング部門に示す。彼らから見ると、生成品質に満足できない。あるいはUI/UXが操作しにくいなど、そのままでは利用できない問題ばかりだ。業務と直接は関わらないデータサイエンス部が単独では気付けないことだからこそ、フィードバックを得て、改良を繰り返すことが重要だ。
また、文書検索のように、汎用性が求められるユースケースに関しては、サイロを作らないように知見を共有しなければならない。メディカルライティング部門のある薬事部だけでなく、医薬開発本部のように、他部門から幅広く意見を聞き、汎用的なアプリケーションアーキテクチャーを構築していく。次の適用領域に関する検討も始まっている。松野氏は「今の取り組みが発展し、生成AIで価値を創出することにつながると期待している」と結んだ。
医療観の変化と求められる倫理的アプローチ
ここまでは生成AIユースケースの適用と、言ってみれば"攻め"の取り組みだが、“守り”の取り組みも並行して進めている。木口亮氏(塩野義製薬株式会社 データサイエンス部 コンピュータサイエンスグループ グループ長)は、「製薬企業を含むヘルスケア産業における、データサイエンス活動で創出するエビデンス、システム、サービスは人々の健康に寄り添うものであり、その一連の活動には高い倫理観、具体的にはデータ倫理が必要である」と述べ、「今、AIに関わる人たちにどんな倫理観が求められているか、考える機会を作りたい」とした。
私たちの社会を取り巻く環境の変化に伴い、医療観も変化している。「以前は、病気を治すことが医療の目的とされてきたが、今は人が人らしく幸せに生きることを助けることに変わってきた」と木口氏は指摘する。病気を治すことは、肉体の健康を支える手段の1つにすぎない。加えて、心の健康ともいうべき精神を支えること、日常生活を支えることも手段として認識されるようになってきた。全ての手段の提供を通して、肉体も心も生活も健康になる手段を提供するのが医療である。
このような医療観の下、デジタルデバイスの果たす役割も増大している。結果、医療とデータとの間の距離が縮まってきた。医療にデータが貢献できる領域が拡がっているとも言える。健康な状態の時、病気になった時、治療後、健康を取り戻してからと、前述の医療の目的を達成するには、その全体をサポートしなくてはならない。「短期の結果を出すだけでは不十分で、データジャーニーを意識しながら、データサイエンス活動を遂行しなくてはならない。そのジャーニーでは高い倫理観が求められる」と木口氏は主張する。
データの収集から始まり、保存と管理をして、整形をして、解析をしてアウトプットを作り、インサイトの獲得に至るデータジャーニー全体で、倫理観が問われる。たとえば、収集したデータは同意を得たものか。プライバシーの侵害をしていないか。データ管理ではセキュリティは担保されているか。解析では結果の透明性は担保されているか。AIが出した結果をそのまま信用していいわけがない。望ましい結果が得られた時こそ、ブラックボックスを放置するのではなく、なぜその結果になったのかを説明できることが問われる。

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冨永 裕子(トミナガ ユウコ)
IT調査会社(ITR、IDC Japan)で、エンタープライズIT分野におけるソフトウエアの調査プロジェクトを担当する。その傍らITコンサルタントとして、ユーザー企業を対象としたITマネジメント領域を中心としたコンサルティングプロジェクトを経験。現在はフリーランスのITアナリスト兼ITコンサルタン...
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