生成AIの急速な普及と地政学的緊張の高まりにより、企業のデータ戦略とセキュリティ環境は根本的な変革期を迎えている。「クラウドファースト」の考え方は見直され、「ワークロード最適化」の時代が始まっているのだ。キンドリルでセキュリティ及びビジネスレジリエンスのリーダーを務めるクリス・ラブジョイ氏に、この変革の本質と企業が取るべき戦略について話を聞いた。
パブリッククラウド優先が見直され、「データ回帰」へ

AI活用の本格化、クラウドコストの予想外の増加、データ主権や地政学的リスクへの意識の高まり──こうした要素が、企業のIT戦略を大きく揺さぶっている。過去10年以上にわたり、企業は「クラウドファースト」の名のもと、パブリッククラウドを重視する形での移行を進めてきた。しかし現在では、「パブリッククラウド一極集中」が見直されつつある。こうした流れを、ラブジョイ氏は、「レパトリエーション(データ回帰)」だと語る。
「データ回帰はクラウドからの撤退ではなく、各ワークロードごとに最適な配置を再設計する“リバランシング”です」(ラブジョイ氏)
実際、昨年のバークレイズの調査によれば、世界の企業のCIOの86%が少なくとも一部のワークロードをクラウドから移行する意向を示していることが明らかになった。
「クラウドファースト」は見直され、現在の主流は「ワークロードファースト」戦略に移行しつつあるという。業務ごとにパブリッククラウド、プライベートクラウド、オンプレミス、エッジなどを、パフォーマンス・コスト・セキュリティ・コンプライアンス観点で使い分ける“設計によるハイブリッド”が求められている。また、これまで十分に活用されてこなかった社内のプライベートデータの価値を見直し、AIモデルの訓練や分析に活かす動きも加速している。
この背景には、「データグラビティ(データの重力)」という課題が存在する。AIモデルの訓練に必要な大量データをクラウドから動かすにはコストも時間もかかり、現実的ではないケースも多い。さらに、多くの企業は“データスワンプ”(企業内に蓄積されたデータが整理・管理されず、まるで沼のように混沌とした状態)と化したレガシーシステムを抱えており、高品質なAI用データの抽出は容易でなくなっているというのだ。
AI活用を阻む現場の壁とネットワーク制約
AIの社会実装が進むほど、従来のインフラでは対応しきれない課題が顕在化している。たとえば大規模言語モデル(LLM)の訓練では、膨大なデータ転送量がボトルネックとなり、「既存のデータセンターネットワークでは対応不能」とラブジョイ氏は警鐘を鳴らす。
特に、AI推論における意思決定の現場や利用者にモデルとデータをいかに近づけるかという「ラストマイル問題」も、リアルタイム性が求められる金融や自動車業界で深刻化している。
こうした技術的な現実に対し、ラブジョイ氏は「レガシーインフラの全面刷新は非現実的。段階的なモダナイゼーションと、クラウド活用専門組織(CCoE:Cloud Center of Excellence)の設立で、既存資産を活かしつつAI・ハイブリッド対応力を高めるべき」と現実的な解決策を示す。コンテナ技術やKubernetesの活用で柔軟なワークロード配置も進むが、何よりも「既存のデータと業務部門の連携強化」が現場力向上のカギになる。
地政学リスク時代のデータ配置と「フレンドショアリング」
AIやクラウドだけでなく、地政学的リスクもデータ戦略の再設計を迫る大きな要因だ。欧州GDPRや中国のサイバーセキュリティ法のような規制強化、またウクライナ情勢などによる突発的なアクセス制限──今や「地政学リスクは事業継続やレジリエンスの観点からも重要」とラブジョイ氏は強調する。
この文脈で注目されるのが、「連合型(フェデレーテッド)データ管理モデル」だ。これは、中央の組織のガバナンスがグローバル基準のセキュリティ・プライバシーを担保しつつ、各地域での法規制や文化に合わせて分散管理を柔軟に行うアプローチ。「グローバルなポリシーとローカルな実行」の組み合わせが、多国籍企業の新常識となりつつある。
また、「フレンドショアリング(友好国へのデータ配置)」も地政学リスク管理の現実解として広がっている。法律や政治環境が安定した国にデータやアプリケーションを複数配置し、万一の事態にも業務を止めないための冗長性を確保する戦略だ。「単なるコスト最適化から、回復力=レジリエンスの最適化へのパラダイムシフト」だとラブジョイ氏は語る。
同時に、全社横断で「どのデータがどこにあり、どのように使われているか」を正確に把握するため、データディスカバリーやリネージ(系統追跡)ツールの導入も急務となっている。
この記事は参考になりましたか?
- EnterpriseZine Press連載記事一覧
-
- ヤンマーがグローバル統一の人事システム刷新に挑戦──オープンなシステムで実現する組織の未来...
- 「クラウドファースト」から「ワークロード最適化」へ キンドリルが語る、AI・地政学リスク時...
- 丸井グループが“昭和型”システム開発風土を変革した3年の歩み:経営層を変えたDX人材育成計...
- この記事の著者
-
京部康男 (編集部)(キョウベヤスオ)
ライター兼エディター。翔泳社EnterpriseZineには業務委託として関わる。翔泳社在籍時には各種イベントの立ち上げやメディア、書籍、イベントに関わってきた。現在はフリーランスとして、エンタープライズIT、行政情報IT関連、企業のWeb記事作成、企業出版支援などを行う。Mail : k...
※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
この記事は参考になりましたか?
この記事をシェア