医師の負担軽減へ──地域医療機関が“院内生成AI”による「退院時サマリ」自動作成をオンプレミスで実装
年間2000万円のコスト削減に匹敵 「正確さ」が重視される医療現場でどう担保したのか?
生成AIはパブリッククラウドとの連携を中心に進化を遂げてきたといっても過言ではない。その一方で、大企業やセンシティブなデータを扱う業界からはセキュリティ/プライバシーリスク、あるいはデータ主権(データソブリン)の観点から、パブリッククラウドではなくプライベートクラウドやオンプレミスの環境でAIインフラストラクチャを利用したいという「プライベートAI」に対するニーズが大きくなりつつある。既にそうしたニーズに応えるサービス提供も始まっており、たとえばBroadcomによるVMwareポートフォリオをベースにした「VMware Private AI」や、KyndrylとDell Technologiesが連携する日本企業向けのプライベートAIクラウドマネージドサービスなどが当たる。こうしたサービスは大企業での利用が前提となっているケースがほとんどだ。しかし、センシティブなデータの扱いに悩むのは大企業だけではない。特に医療機関や教育現場、地方自治体といった公共の福祉に貢献することを求められる組織においては、個人情報を含む様々なセンシティブデータを取り扱うことから個人情報保護法や各種ガイドラインの遵守が厳しく義務付けられているが、そのための予算や人材は非常に限られている。そうした環境下にありながらも、最初の一歩を踏み出した、栃木県の那須赤十字病院の事例を紹介する。
多忙極める医師の業務負担の軽減に挑む
基本理念に「マイタウン・マイホスピタル~地域に根ざし、ともに歩み、心ふれあう病院に~」を掲げる那須赤十字病院は、栃木県北地域の中核医療機関として毎日約1,000人の患者に医療を提供している。しかし、コロナ禍以降の多くの医療現場がそうであるように、那須赤十字病院もまた人材不足や過剰な業務負担の増大から、医師が患者と向き合う時間の減少という課題に悩まされていた。
この課題の解決に向けて提案されたのが生成AIの活用だ。那須赤十字病院 医療情報管理課 課長 宮内明博氏は2025年4月に都内で開催された「NVIDIA ソブリン AI ヘルスケア Day with Macnica」の講演で、同病院が院内にオンプレミスの生成AIサーバーを設置し、院内業務手順を大幅に簡素化した事例を公開した。
同病院が今回のプロジェクトで作成したのは「電子カルテの情報から退院時サマリを自動作成する生成AIシステム」で、
- 電子カルテ端末から入力された患者IDを生成AIサーバーが受け取る
- 生成AIサーバーはその患者IDのカルテ情報を電子カルテサーバーから取得する
- 取得したカルテ情報を生成AIサーバー(LLM)が要約し、退院時サマリを自動作成する
というものだ。退院時サマリは入院患者が退院する際に主治医によって作成される文書で、患者の病歴や経過、診断/治療内容などがまとめられている。患者が退院後も他の医療機関での治療やケアを適切に受けるためにも欠かせない文書であり、医師は患者の退院後2週間以内にこれを作成することが望ましいとされている。しかし、膨大なカルテ情報から重要な情報を過不足なく、かつ迅速に要約する作業は、医師の業務負担を重くする要因の一つとしても指摘されている。この退院時サマリの作成を生成AIが代替することで、医師の業務負担を削減することは可能なのか──本プロジェクトはそうした意図のもとで開始されたという。
本プロジェクトの開始にあたり、那須赤十字病院は複数ベンダーに打診を行っているが、その際、病院側のベースとなる要求は以下の3点であった。
- 自然言語(日本語)による対話型の応答:質問も回答も日本語で
- 患者データを活用したサマリ(要約)の出力
- 日赤規定、診療報酬、院内就業規則などの反映
一方で、生成AIの院内利用に対しては以下のような懸念があったという。
- LLMの医療用語に対する理解
- 患者カルテの漏洩のリスク
- 院内ネットワークとインターネットのセキュアな接続
- AIのハルシネーション
- 全職員の利用によるLLMのライセンスコスト
これらの課題を踏まえて、「オンプレミスでAIサーバー構築」「ランニングコストを抑えられるオープンソースの活用」「AI環境構築手順を職員が習得/展開し、ノウハウを院内に蓄積」という要求がまとまり、ベンダーに打診したところリコーが受注、2024年7月からプロジェクトがスタートした。
生成AIシステム導入にあたって那須赤十字病院が挙げたポイント。患者データというセンシティブな情報を扱うこと、さらにコスト削減の観点から、院内ネットワークにオンプレミスAIサーバーをオープンソースを活用して構築するという、国内の医療機関ではまだあまり例をみない挑戦となった
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五味明子(ゴミ アキコ)
IT系出版社で編集者としてキャリアを積んだのち、2011年からフリーランスライターとして活動中。フィールドワークはオープンソース、クラウドコンピューティング、データアナリティクスなどエンタープライズITが中心で海外カンファレンスの取材が多い。
Twitter(@g3akk)や自身のブログでITニュース...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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