PQC対応の第一歩は「CBOM」作成から──システム全体に影響を与えないクリプトアジリティの実践を
第2回:NIST標準化は「終点」ではない 耐量子暗号の技術選択と今後10年の見通し
第1回でおおまかなタイムラインを示したとおり、HNDL攻撃のためのデータ収集はもう始まっているとみられることもあって、PQC(耐量子計算機暗号)の導入は緊急の課題と位置づけられている。特に、経済的・社会的影響が大きい金融機関向けには政府からガイドラインが公表されていることもあり、具体的な取り組みに着手している企業も増えている。とはいえ、移行作業には準備も含めて相応の時間を要するため、現在は移行のための準備段階であることが多い。かつては2035年が移行完了の目安としてガイドライン等で提示されていたが、最近は2029年頃には現在主流の公開鍵暗号の解読が可能になるという見方もあり、移行段階の前倒しも指摘されはじめている。そこで今回は、移行準備をどのように進めていくべきかについて、主に技術的な見地から整理しておきたい。
「クリプトアジリティ」実現に向けた絶好の機会
PQCに関しては、日本でも基本的には米国国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology:以下、NIST)が進めているPQCアルゴリズムの標準化動向に沿って対応を進めているところだ。NISTは、2024年にPQC標準アルゴリズムとして鍵交換アルゴリズム(ML-KEM)および電子署名アルゴリズム(ML-DSA、FALCON、SPHINCS+)の4つを標準としており、現在は具体的な実装段階に移行している。とはいえ、細かなアップデートなども行われているほか、今後も新たな知見に基づいて変更が加えられたり、新しい標準アルゴリズムが追加されたりする可能性も考慮しておく必要がある。
日本ではNIST標準準拠を基本としながらも、独自に「CRYPTREC」という取り組みで、NIST標準の暗号方式に対して安全性・実装性能評価を進めている。CRYPTREC暗号リスト更新を目指すとしていることから、なんらかの変更対応が求められる可能性もあるだろう。
とはいえ、量子コンピュータもPQCはいずれも発展途上の技術だ。このところ進化のペースが加速している印象もあり、この先も実用化までに様々な変化が起こることが想定される。現状のPQCは、原理的に解読不能というものではなく、量子コンピュータを使った場合でも解くには相当な時間を要する複雑な数学的な問題という点に基盤を置いているものだ。そのため、これまで誰も思いつかなかったような画期的なアルゴリズムが発見されて演算時間が大幅に短縮される可能性もないとはいえない。
こうした状況を踏まえると、PQCへの対応を急ぐと同時に、将来的に暗号技術を刷新しなくてはいけない状況になった際に、迅速に対応できる基盤構築も同時に進めていくことが求められる。「クリプトアジリティ(Crypto-Agility:暗号の機敏性)」という概念では、システムが暗号化メカニズムを迅速に切り替えられる能力を備えるべきだとしている。
そもそもPQC対応自体がこれまで主流だったRSA暗号からの切り替えを求めるものだが、こうした暗号技術の陳腐化・解読技術の向上にともなって使用する暗号技術を刷新していく場面は、今後も定期的に発生すると予想される。そのため、そうした事態に備え、対応を容易にしておく必要がある。そのためにも、今回のPQC対応はクリプトアジリティ実現のための基盤整備の機会としても絶好のタイミングだといえるだろう。
まずは何から着手すればいい?
企業がPQC対応を推進していく際に、具体的にまず何から手を付けたら良いのだろうか。この点に関してキンドリルでは、まずCBOMの整備に着手することを推奨している。
CBOMとは「Cryptography Bill of Materials(暗号部品表)」を指す。もともと製造業で使用されていたBOM(構成部品表)の概念をソフトウェアに拡張し、オープンソース・ソフトウェアのコンポーネントやライブラリなどがシステム内でどのように活用されているかを可視化して管理する手段として「SBOM(Software BOM)」を整備するという機運が高まったという経緯がある。
CBOMは、SBOMをさらに専門化した形で暗号技術の管理に特化し、現状可視化に役立つものだ。従来のSBOMの考え方でも、どのような暗号ライブラリが使用されているのか、どのバージョンなのか、といった情報は管理できるが、CBOMではさらに踏み込んで利用されている暗号アルゴリズムは何なのか、鍵長は何bitなのかといった暗号技術に固有の詳細情報まで分かりやすく管理できる点に特徴がある。
CBOMの作成にあたっては、手作業でソースコードなどを確認しながらシステム内部で利用されている暗号技術を見つけだしてリストアップしていくこともできなくはないだろうが、作業負荷を考えると全システムに対して網羅的に実施するのは現実的ではないだろう。そこで、可能な限りツールを活用した自動化で対応し、対応するツールが準備されていないメインフレームなどのレガシーシステムに関しては手作業で対応するというハイブリッド・アプローチが推奨される。
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成尾 明久(ナルオ アキヒサ)
キンドリルジャパン株式会社 コンサルト・プラクティス事業本部 金融事業部長金融機関の全社DXや業務改革を中心に、ゼロベースでのBPR、デジタル化実現支援、AI利活用、オペレーションモデル変革、チェンジマネジメントなどに豊富なコンサルティング経験を有する。AIガバナンス、セキュリティ、人材変革やリスキ...
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吉田 卓(ヨシダ スグル)
キンドリルジャパン株式会社 セキュリティ&レジリエンシー事業部 コンサルト・プラクティス・リーダーサイバーインシデント対応、デジタルフォレンジック、eDiscovery、不正調査、規制対応、情報ガバナンス、データ保護領域での実務経験を有する。現在は金融業界を中心に、PQC移行戦略、AI時代の...
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