PQC対応の第一歩は「CBOM」作成から──システム全体に影響を与えないクリプトアジリティの実践を
第2回:NIST標準化は「終点」ではない 耐量子暗号の技術選択と今後10年の見通し
暗号技術の刷新時に押さえておきたい、影響範囲の全体像
PQC対応では、暗号アルゴリズムを実装するライブラリを変更することはもちろん、システムの様々な要素に影響が及ぶため、その全体像を把握した上で適切な対策を講じる必要が生じる。たとえば、現在公開鍵方式の暗号アルゴリズムが広く使われている分野として「デジタル署名」「電子署名」が挙げられる。
具体的には、インターネットでアクセス先サーバーの正当性を保証するための仕組みとしてサーバー証明書が使われている。PQC移行を実現するならこれらのサーバー証明書等もPQCに移行する必要があり、実際にNISTの標準でもPQCとして電子署名向けのアルゴリズムが用意されている点はこうした用途を想定したものだといえる。だが、通信に関わる部分なのでサーバー側だけが一方的に変更してしまうと通信できなくなるなどのトラブルの発生も懸念される。
認証局事業のリーディングカンパニーであるDigiCertは、PQCへの移行に関連して様々な情報発信を行っており、さらに様々なパートナーと連携してスムーズなPQC移行を実現するための支援にも積極的に取り組んでいる。同社は従来型の証明書とPQCベースの証明書が混在する状況が出現することを想定し、ハイブリッド証明書の安全性を検証可能なラボ機能などを提供するとともに、協業するキンドリルなどのパートナー企業にもノウハウを提供している。
大和証券と大和総研が、日本電気(NEC)、F5ネットワークスジャパンおよびデジサート・ジャパンと協働でPQC技術の概念実証を実施し、その結果を公表した。その概念実証では、サーバー証明証の移行方法に関する得失の検証が行われている。従来型の暗号技術を捨ててPQCに一本化する「ピュアPQC」は安全で効率も高いが、当然ながら旧システムを切り捨てることになってしまうため、パブリックなインターネットなどでは採りにくいアプローチとなる。一方で、互換性を重視するために従来の証明書とPQC証明書の両方を用意する「デュアル」というアプローチでは従来型の証明書が攻撃対象とされるリスクが高く、セキュリティ面で問題が生じる。
従来型とPQCを併用しつつ必要に応じて安全に切り替える手法として「ハイブリッド」と「コンポジット」があり、それぞれ得失があるが、いずれも従来型に比べてデータ量が増大するなどネットワークインフラに負荷を掛けるという課題が指摘されている。現在の暗号化方式を前提として整備されている様々なインフラを足並み揃えて刷新していく方策はいまだ見えていない部分も多い。そのため、2029年~2035年といわれる移行完了に向けて着実に準備を進めていく必要があるだろう。
局所的な対応で終わらせずに、広い視野で自社に合った進め方を
PQC対応に関しては技術面で考慮すべき点が多々ある。まずは暗号資産の棚卸しとしてCBOMの作成から始め、優先順位を明確にして順次対応を進めていくことになる。移行段階で証明書のサイズが肥大することが予想されることから、ネットワーク機器などのキャパシティプランニングが従来とは変わってくるなど、システムの様々な要素にインパクトが波及することが様々な実証実験や検証から見えてきたところだ。
PQC対応を進めて行くにあたり、クリプトアジリティで暗号アルゴリズム等を柔軟に変更できるようにするほか、ネットワーク機器などの更改タイミングでPQC対応のことも検討要素に加え、あらかじめPQCに切り替わっても問題なく動作する機器を選定しておくなど、幅広く目配りしていくことが求められる。システムによってはベンダー側のサポート切れのタイミングとの兼ね合いでPQC対応が難しいものが出てくる可能性もある。ITインフラ全体の状況を俯瞰的に見て、システム全体のモダナイズをどのように進めていくのかを改めて検討するきっかけとして、PQC対応を位置づけていくことも必要になりそうだ。
なお、サーバー証明書に関連する話題として、2029年以降はサーバー証明書の有効期限が47日に短縮されることが決定しているため、これにも対応する必要があることも見逃せない問題だ。証明書の更新頻度が上がることから管理負担が増大することになるが、現実問題としてこれまでのように毎回人手で対応するような体制のままでは対応が困難になっていくと思われる。結果として、前述のクリプトアジリティにも直接関連することになるが、サーバー証明書などの暗号関連の資産を可視化して運用管理を可能な限り自動化していく必要があるだろう。奇しくもちょうどPQC対応の期限として想定されているのと同じ2029年がターゲットとなっているため、こうした動向も同時に対応を図っていくことが望ましい。
PQCへの対応は、単に暗号ライブラリを最新バージョンにアップデートすれば済むという局所的な話ではなく、全社規模でITインフラ全体を根本から見直す必要も出てくる大がかりな話となる。これまで変革を先延ばしにしてレガシーシステムを延命させてきた企業や組織では、オンプレミス環境でPQC移行を実現するより、むしろクラウド事業者の対応に期待してシステム全体を一気にクラウド移行するほうが対応が容易、という判断になることも考えられる。広い視野で様々な選択肢を比較検討した上で最善策を選び取れるよう、しっかりと準備していくことが重要だ。
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成尾 明久(ナルオ アキヒサ)
キンドリルジャパン株式会社 コンサルト・プラクティス事業本部 金融事業部長金融機関の全社DXや業務改革を中心に、ゼロベースでのBPR、デジタル化実現支援、AI利活用、オペレーションモデル変革、チェンジマネジメントなどに豊富なコンサルティング経験を有する。AIガバナンス、セキュリティ、人材変革やリスキ...
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吉田 卓(ヨシダ スグル)
キンドリルジャパン株式会社 セキュリティ&レジリエンシー事業部 コンサルト・プラクティス・リーダーサイバーインシデント対応、デジタルフォレンジック、eDiscovery、不正調査、規制対応、情報ガバナンス、データ保護領域での実務経験を有する。現在は金融業界を中心に、PQC移行戦略、AI時代の...
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