5万通りのイノベーション
本当かどうか確かめてはいませんが、聞くところによると世界には5万人のイノベーション学者がいて、そのひとりひとりがイノベーションの定義を独自に持っているそうです。そうすると世界には5万通りのイノベーションの定義があるということになります。たしかにイノベーションについて議論すると、「イノベーションとはそもそもなにかがわからない」という意見もありますが、「それをイノベーションとはいわない」という意見もあるなど、時には異なる定義のすり合わせに時間を費やしていることに気がつきます。しかし「DXとはイノベーションをもたらすもの」という立場に立つこの連載で、イノベーションの定義をしておくことは必要なことです。そこで「この連載におけるイノベーション」という前置きつきで、イノベーションにはどんな種類のものがあるのかという分類をしておきたいと思います。
いま、広く普及しているイノベーションの定義をひとつあげてくださいと言われれば、やはりその著書、『イノベーションのジレンマ』で破壊的創造のメカニズムを明らかにした、クレイトン・クリステンセンのものではないでしょうか。クリステンセンの「破壊的イノベーション」という言葉があまりにも有名になったので、イノベーションと破壊的創造をひもづけて考える方が多くいらっしゃるように思います。しかし2020年1月にお亡くなりになったクリステンセンは、近年、「破壊的(disruptive)」という言葉が1人歩きしていたことを憂いていました。DesertNewsの訃報記事でクリステンセンは、「ベンチャーキャピタリストという人種は、本(『イノベーションのジレンマ』のこと)を読まずに(破壊的という)言葉を使う人たち」と強く批判しています。「破壊的」という言葉が「新しいテクノロジー」のセールストークに使われていたり、「技術革新」とひもづけられてしまっていることを憂いていたのです。クリステンセン曰く、空飛ぶ自動車そのものが破壊的創造というわけではないということです。日本でも1958年の『経済白書』で、イノベーションという概念がはじめて紹介された際に「技術革新」と訳されてしまったことから、イノベーションとは新しいテクノロジーそのもののことであるという、プロダクトアウト的な誤った考え方が定着してしまったことは、多くの識者が既に指摘しているとおりです。それでは「新しいテクノロジー」そのものではないイノベーションとは、はたして何でしょうか。
イノベーションを生み出すのは「新結合」!
イノベーションの元祖といえば、この概念を提案したオーストリア出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターそのひとでしょう。シュンペーターは、1911年に書いた『経済発展の理論』で、イノベーションには「新しい財貨の生産、新しい生産方法の導入、新しい販売先の開拓、新しい供給源の獲得、新しい組織の実現」の5つがあるとしました。筆者にとっては、直観的に理解しやすいとは、とても言い難い分類です。しかし著者は、シュンペーターが、その初期の著書で、イノベーションのことを「イノベーション」と呼ばず、「新結合(new combination)」と呼んでいることに注目しています。つまりシュンペーターは、イノベーションを生み出すのは「新結合=新しい組み合わせ」であると言っているのです。
よくイノベーションとなる「考え方やアイデア」(=コンセプト)を生み出すような行為を「ゼロ・トゥ・ワン」といいます。あたかも「ゼロ=無」から「ワン=有」を生み出すような行為だというわけです。しかしそれは間違いです。ひとは何もないところから、突然、新しいコンセプトを生み出すということが、脳の仕組みからいってできません。新しいコンセプトを考え出すとは、脳の中に無数の「既存のコンセプト(考え方や理論やアイデアなど)」が知識としてインプットされているときに、それを模倣して「新しい組み合わせ」として「新結合」させるという思考行為なのです。だからひとは誰であっても、知らないことは想像できません。なぜならば既存のコンセプトが知識としてあたまの中にないからです。
さらに泳げない人は、水泳のマニュアルをどれだけ読んでも泳げるようにならないということもあります。実際に泳いでみなければ、泳ぎ方は「体得」できません。ビジネスモデルを構想企画したり、要件定義をしたり、プログラミングをしたりという行為は、実際に手を動かしてみなければ「体得」できません。ひとは誰であっても、やったことがないこと、経験したことがないことはわかりません。だから実践が訓練として必要とされるのです。
新しいコンセプトを考え出すという思考行為が「ゼロ・トゥ・ワン」のように思えるのは、それが無意識の中で行われているからです。そして考え出したコンセプトが、意識に顔をぽっかり出すから、突然、天から降ってきたように感じられるのです。王冠を溶かすことなしに、金の王冠の中に銀が混ぜられていないかどうかを見破るように命じられたアルキメデスは、考えあぐねたあげく、お風呂にざぶんと入ったときに天啓がひらめき、「アルキメデスの原理」を思いつきました。なぜならばアルキメデスにとって、答は既に無意識の中にあったからです。詩人や哲学者は散歩をしているときに、優れた考えを思いつくといいます。アウグスト・ケクレは、夢の中で二匹の蛇(ウロボロス)が、互いの尻尾を噛んでいる姿を見て、ベンゼンの化学式を思いついたと言います。なぜならば、お風呂に入ったときや散歩をしているとき、眠っているときは、無意識を抑制している意識が緩むことで、無意識の中で新結合された新しいコンセプトが、ぽっかりと意識に顔を出しやすいからです。
世界ではじめてアイデア発想法の本(『アイデアのつくり方』)を書いたジェームズ・ヤングは、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせに他ならない」と喝破しました。新しい製品も、新しいサービスも、新しいビジネスモデルも、その新しいコンセプトは、既にあるコンセプトの「新しい組み合わせ」なのです。この新結合するという思考とは、「ゼロ・トゥ・ワン」というイメージがある「発想」ではなくて、既存のコンセプトを模倣して新結合して、新しいコンセプトを類推するという「連想(アナロジー)」とよばれる思考法なのです。