どうにかして働きがいがある職場をつくれないものか?
ITサービスベンダーP社のU社長は、早急な経営変革の必要性を痛感していました。現場の働き手の過剰な業務負担にも関わらず、思うように利幅がとれない現状では、働き方改革がうたう時短など実現できるわけがありません。そもそも時短というのはなんらかの経営変革の成果によって達成されるものですから、本当の問いは「どのように経営変革すべきか」であるはずです。現場の働き手の待遇を改善し、働きがいがある職場をつくりたい。そのためにも業績を向上させなければならない。どちらが欠けても経営変革は成功しません。U社長の経営変革の挑戦は始まりました。
ITサービスベンダーP社の変革前の経営課題
ITサービスベンダーP社の変革前の取り扱い商品には、財務会計パッケージやヘルプデスク・サービス、宿泊業向けパッケージアプリなどがありました。ITサービス業に携わる方々にとってはなじみが深い商品ばかりです。なじみ深い商品であるということは、同等商品がどこからでも手に入りやすいということです。機能的な差別化要素がゼロというわけではないのですが、これら商品そのものは大きな差別化要素はなりにくいということです。商品そのものに大きな差別化要素がない場合、「あいみつ(相見積もり)」と呼ばれる複数の業者から同じ条件で見積もりを出してもらい料金を比べることが行われることもあります。厳しい価格競争に陥りがちになることも読者の方々は、よくご存じのことかと思います。
筆者は経営変革前のP社のビジネスモデルの類型を「提供型の価値提案(VP:バリュープロポジション)」と呼んでいます。なぜ提供型とよぶのか、その理由はこういうことです。販売から納品に至るまで、担当者の意識も顧客の意識も「商品」に向いています。商品を販売し、商品を受注し、商品を提供し、商品を納品します。だから商品の「提供型の価値提案」と呼びます。
提供型では、顧客から、納品時に商品のQCDを問われます。機能要件や品質要件(Q)はちゃんと満たされているか、約束通りの納期(D)は守れたか、価格(C)は妥当であったが問われます。
見方を変えると、P社は競合ベンダーとQCDで競っています。顧客の評価基準もQCDが基本です。しかし商品の機能的価値は横並びです。ということはP社の立場としては、Qを品質保証するために「商品を正しく提供する」ことに力を入れます。つまり「正しく要件定義しカスタマイズし提供する」ことに力を入れます。また品質管理システムを構築して品質問題を予防する必要があります。とりわけ「要件定義」が肝です。「要件定義」を間違えてしまっては商品を正しく提供することができません。商品を正しく提供するためには「顧客の商品に対する要求を要件として正しく定義する」ことがなによりも大切です。
しかし顧客の短納期(D)や低価格(C)要求は厳しさを増すばかりです。こういった厳しい要求に応えて利益を確保するためには生産性を向上する必要があります。P社の商品の中には、PCの各種設定・ソフトウェアのインストールなど、PCをすぐに使える状態にするためのキッティングと呼ばれるサービスがあり、こういった定型的・機械的な大量処理が必要な仕事のオートメーションはRPA(ロボティクス・プロセス・オートメーション)の出番です。具体的な手法については続編で解説しますが、P社も厳しい納期要求や価格要求に応えて利益を確保するために、ITツールによるオートメーションに積極的に取り組みました。しかしRPAの適用可能範囲はそれほど広くありません。定型的・機械的に大量処理する業務はそれほど多くはないのです。
過剰な業務負担も薄い利幅も避けようがないことだった!?
「提供型」のビジネス・ゴールは「商品を売って届けて儲けること」です。しかし商品が横並びであるということは、QCDの中でC(価格)とD(スピード)の競争になるということです。もちろんP社もRPAを積極的に導入するなどして生産性向上の努力を払いましたが、価格とスピードの競争には限界があります。「あいみつ」をとられる競合ベンダーも経営努力を払っているのです。価格もスピードも横並びになった先には、利益度外視のレッドオーシャンが待っています。
筆者はシリーズ1で、日本のサービス産業の生産性が米国比でおよそ半分であることを説明しました。米国企業と直接、競合することがないローカル産業の場合、業界の生産性が問題です。生産性が業界平均よりも低いということは業績も従業員の待遇も業界平均よりも劣るということです。それだけで市場退場につながることもあります。だから筆者はシリーズ1で「合理的でなければ生きていけない」とたとえました。
しかし生産性向上による価格とスピードの競争には限界があります。筆者が生産性向上の大切さを訴えた意図は、業界平均の生産性を達成することは必要だと言いたかったのです。しかし価格とスピードの競争には限界があります。だから「共創できなければ生きている資格がない」とたとえたように、新しい価値提案への経営変革に向き合うべきこともあります。
つまりこういうことです。P社に限らず、提供型は、いまの多くの日本企業が採用しているビジネスモデルです。例えばですが、昔は日本でも世界でも冷蔵庫やテレビが、つくればつくった分だけ売れました。しかも日本のグローバル製造業は、生産性の高さ、つまり欧米企業よりも「品質が良いテレビを安くつくり早く届ける力」だけで世界の頂点に立つことができたのです。しかしいまやつくった分だけ売れる時代は終わりました。おはこであった生産性も先進国で最下位レベルです。このような状況に置かれた日本の企業は、厳しい競争環境の中で、いまの提供型の価値提案に留まって改めて生産性向上競争に挑むか、新しい価値提案に変革するかの選択を迫られています。しかしこのまま何もしないでいれば、過剰な業務負担も薄い利幅も避けられないことになってしまうのです。
しかし生産性の業界平均が低ければ、オートメーションによって競合に先んじることができます。例えばITによるワークフロー・オートメーションを導入することによって、顧客満足の向上と働き方改革を両立させた宿泊業があるなど、成功事例はいくつもあります。P社も第1ステップとして、RPAによるオートメーションに取り組み、コストカットとスピードアップの両立を図ることができました。しかし残念なことに、P社が事業を営むITサービス業界は厳しい競争を迫られる業界です。そこでU社長は提供型の価値提案に変わる新しい価値提案が必要であると新たな未来図を描いたのです。