意外と難しい著作権侵害の判断
今回は久しぶりにプログラムの著作権の問題についてお話をしたいと思います。 当たり前のことですが、誰かが作ったプログラムをコピーして自分自身のプログラムに加えてしまうことは、簡単にできます。
実際、昨今の開発はGit-Hubのようなインターネット上の公開サイトからプログラムをダウンロードし、そのプログラムを改造して作ることが、むしろ主流になっています。そして過去に、あるお客さんに向けて作ったプログラムを、別のお客さん向けに作るプログラムに利用したりなども当たり前に行われています。
むしろそうしたことがすべて禁止されたら、開発にかかる期間や工数は何倍にも何十倍にもなってしまう可能性があります。今の時代、プログラムのコピーはソフトウェア開発における必須作業と言ってもよいでしょう。
では、プログラムを誰もが勝手にコピーをして使ってよいのかといえば、もちろんそんなことはありません。コンピューターのプログラムは、著作権法にも定められた著作物で、これを利用して開発を行うには著作権者(多くの場合は、プログラマーやその属する企業など) の許しが必要になります。
Git-Hubで取得できるプログラムは、それを作って掲載したプログラマーが、他の人に使ってもらって構わないという許諾を予め与えているものですし、あるお客さん向けのプログラムを他に流用するのも、そのお客さんとの契約で、このプログラムの流用をしても構わないという約束がなされた上でのことです。
では、どんなプログラムの記述も、許諾なしにはコピーできないのかと言えば、それも現実的ではありません。「xに1を加えた値をyに入れろ」という命令をy=x+1と書くのを禁じられたら、誰もプログラムなど書くことができません。
そこまで簡単でなくても、世の中にあるプログラムには、そっくりの機能を持つものはが山ほどあります。顧客管理、在庫管理、販売管理……、あるいは各種の分析ソフトや情報提供ツールなどにせよ、同じような機能を持つのであれば、プログラムもよく似ていることでしょう。これらをすべて禁止してしまっては、ソフトウェアの発展などありえません。
では、 プログラムのコピーがどこまで許され、どこから先が著作権侵害なのか。これは、なかなか難しい問題でこれまでも沢山の裁判が起こってきました。画面がそっくりだからと著作権法に触れるとされたものもありますし、 同じWindowsなのだから誰が作ってもこういう風になると著作物性が否定された例もあります。
機能がそっくりだからと争われる例も複数あり、やはり著作物性を肯定するケースと否定するケースの両方が存在しています。実際のところ、こうした判断はケースバイケースで行われ、明確な基準を打ち立てるのは難しいことなのかもしれません。