現場のプロが主導したAI内製プロジェクト
東京メトロのセッションでは、AIプラットフォーム「Azure AI」とローコードツール「Power Apps」を活用し、地下鉄の線路設備の異常をAIで検知する「締結装置画像診断アプリ」を開発した事例が紹介されました。
締結装置とは、線路を構成する要素の一つで、2本のレールをまくら木に締結してレール間の距離(軌間)を保持したり、車両走行時に車両が軌道に与える荷重や振動に抵抗してまくら木に伝わる衝撃力を緩和したりするなど、車両を安全に走行させるための重要なパーツです。この締結装置のさびや腐食などの異常を、線路画像からAIがいち早く判別・検知し、線路保守のDX、安全性の向上や保全業務の生産性向上を図るというのが本事例のゴールとなっています。
本事例の重要なポイントとして以下の3つが挙げられます。
- 線路設備の保守管理を行う現場(東京メトロ 工務部)のスタッフが主導
- ローコードツール「Power Apps」でAIアプリケーションを内製で開発
- 内製開発に対するアドバイスに加え、モデル間の連携、セキュリティの担保、CI/CDの実現などをプロフェッショナル(日本マイクロソフトの開発者)がサポート
この中で特に興味を引かれるのが、線路設備の保守管理を行う東京メトロの現場のスタッフが、AIモデルの内製化に取り組んだことです。もちろん、彼らは「線路のプロ」であって「AIやITのプロ」ではありません。IT部門ではなく現場のスタッフがAIモデルの内製化に取り組むというのは、日本企業ではかなりめずらしいケースだと言えます。
地下鉄特有の課題と人材不足を解決する突破口として
パンデミック以降、どの産業も今までとは違う“ネクストノーマル”の世界に対応せざるを得なくなり、鉄道事業者である東京メトロも輸送人数の大幅な減少やサプライチェーンの途絶による部品の供給不足、エネルギー価格の高騰といった厳しい経営課題と向き合ってきました。同社は現在、2022年度から2024年度までの中期経営計画「東京メトロプラン2024」のもと、乗客の安全を前提にした大幅なコスト構造改革や、他社や研究機関と協力した新しい鉄道ビジネスの創出に取り組んでいます。そして長年、目視での確認を基本にしてきた線路保守という業務においても、ネクストノーマルを見据えた効率化が求められるようになりました。
そこで、線路保守を担当する工務部 軌道課がネクストノーマルへの起点として選んだのが、地下鉄の線路を撮影した画像から締結装置の劣化や腐食などの異常をAIで判定するソリューションの内製化でした。工藤氏は「締結装置の異常判定」というテーマを選んだ理由として、以下を挙げています。
- 都心の地下鉄特有の課題
- 線路保守業界の人材不足
- AIスキル人材確保への布石
実は、線路画像を活用した軌道(線路)保守は鉄道業界では比較的進んでおり、東京メトロでも一部取り入れられています。しかし、都心の地下鉄には「暗くて狭い空間」「湿潤な環境」「急勾配や急曲線」という特有の課題があり、これらが線路保守の効率化を妨げる大きな障害となっていました。特に、湿潤な環境──漏水による締結装置の腐食は地下鉄ならではの課題であり、安全性を担保するためにも締結装置の腐食や異常は可能な限り早急に特定しなければなりません。こうした課題にフォーカスした効率化が実現すれば「社内における業務上のインパクトも大きい」(工藤氏)という狙いもあったようです。
また前述したように、地下鉄という特殊な環境下で目視で線路の状態を判定するには、熟練したスキルが求められると言います。しかし、少子高齢化により熟練したスキルをもつ人材は減少の一途をたどっており、近い将来、線路保守の担い手が不足することは明らかでした。
地下鉄特有の課題と線路保守の人材不足、この2つの課題を解決するために軌道課が選択したアプローチが、過去に撮り溜めた大量の線路画像を「教師データ」として、締結装置の腐食箇所をAIで判定するシステムの構築です。もっとも最初は、社外のAIを専門とする協力企業に構築を依頼し、「満足できるレベルの成果物ができた」ものの、工藤氏は「AIシステムの構築を外部に依頼するとやはり相当のコストがかかる。また、技術がブラックボックス化してしまい、今後の拡張が難しくなる」と判断。将来的なAI人材の確保も考慮して、画像判断によるAIシステムの内製に取り組むことになったと説明しました。