本記事は『DXを成功に導くマスターデータマネジメント データ資産を管理する実践的な知識とプロセス43』の「第1 章 なぜ、今、MDMが必要なのか」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
MDMが求められる背景を知る
個別業務の効率化重視による問題と求められる人材
マスターデータマネジメント(Master Data Management:MDM)を必要とする背景を考える際に、日本企業の情報システムの成り立ちから見ていく必要があります。
日本企業では、給与計算や財務会計処理など個別業務の効率化を目的として、定型作業への情報システム導入を中心に発展してきました。2000年代に入ってからは、SCM(Supply Chain Management:サプライチェーンマネジメント)やCRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)などのビジネス戦略が掲げられ、業務横断・事業横断・企業横断でのデータ活用が主流となりました。
しかし、個別業務に閉じたデータの集約は標準化が難しく、簡単には実現できませんでした。さらに、2018年以降はDX化に伴うアドホックなデータ活用の流れ(特定の課題を解決するために、その都度必要なデータを集めて分析、利用すること)を受けて、現在でもこの問題が拡大し続けています。原因は、個別業務の効率化に適したデータ構造は、業務横断・事業横断・企業横断(以降、「領域横断」と略す)では適合しないためです。
こうした背景から、全社で標準のデータ構造を決めるためのファシリテーターの育成が求められています。
MDM企画の背景にあるビジネスサイドの3つの戦略
MDMは業務横断・企業横断のデータ活用の文脈で使われる言葉です。このことからMDMの企画が立案される背景には、必ず何らかのビジネス上の旨味、つまり戦略があります。
図1は、「DX戦略」「組織戦略」「M&A戦略」という代表的な3つのビジネス戦略と、それぞれのMDMの目的およびねらい(目的の目的)を示し たものです。
なお、本書における組織戦略とは、顧客戦略、人材戦略、物流・SCM戦略、商品戦略といった部門ごとに掲げられるような戦略を指します。
これら3つの戦略は、MDMを実現するにあたり、管理範囲やアーキテクチャが異なります。そのため、推進リーダーは自身のプロジェクトがどのタイプかを見極めて、適切な進め方を決める必要があります。
以降では、この3つの戦略を使い分けて解説します。
Point! ビジネスサイドの3つの戦略の違いで気を付けること
- マスターデータの整備範囲
- マスターデータアーキテクチャと配信方法
- マスターデータの共通項目と個別項目の判断
MDMが機能しないことによる問題点を考える
マスターデータとは
ここではマスターデータについて簡易的に述べます。
マスターデータとは、ビジネス活動を推進する上で欠かせない資源を表すデータです。資源を表すデータとは、人(社員)、組織(事業部、部署)、場所(物流センター、工場、倉庫)、取引先(顧客、仕入先)、モノ(製品、部品、原材料、商品)などを指します。
図2は食品メーカーと共にプライベートブランドの商品(この例ではお菓子)を開発して、店舗で販売する小売業のビジネス活動を表しています。この例では、バイヤー、仕入先、材料、お菓子、物流センター、店、棚がマスターデータとなります。
MDMの目的、MDMが実現できていないことの問題点
ここではMDMの目的について簡易的に述べます。
MDMの目的は、共用性の高いマスターデータを統制し、全社で利用できるようにすることです。そのためには、組織(体制・役割・プロセス・ルール含む)・システム基盤・教育を作り、企業全体に文化を創っていく必要があります。
逆説的に言うと、MDMができていないことで業務部門の担当者による個別化・属人化が進んでしまいます。企業全体で統制されたマスターデータが提供できないと、業務部門の担当者は自分たちの業務を最優先に考えて、マスターデータを運用します。
この点を踏まえ、ここでは以降、MDMができていないことによる代表的な7つの問題点について述べていきます。リアル感を出すために、あえて話し言葉で書きます。
1. 類似マスターデータによるデータ連携の複雑化
取引先マスターを一元管理したくても構想レベルで留まり、結局、業務部門で個別にマスターデータを作ってしまった……(図3)。
仕方ないが、データの整合性確保が必要なので、当面はデータ連携とコード変換で何とかしよう! 根本的な解決はすぐにはできないので、テーブル一覧の説明欄にこのようなデータ構造に至った背景を補記し、次期システム再構築の担当者が困らないようにナレッジを残しておこう。
2. 冗長項目の増加によるデータの汚染
冗長項目が増えて、データが汚れていく……(図4)。
やはり、正規化した上で、ルールとプロセスを決めて、レビュー体制を組む必要がありそうだ。また、レビューができる人を育てる計画も考えよう!
3. 定義に合わない値の増加によるデータの汚染
データ項目を定義したのに、粒度や範囲の異なるデータが増えて、データが汚れていく……(図5)。
まずは、データクレンジングをして、将来的にはチェックする担当者を設けよう!
4. 同じデータ項目名に対する担当者間の相違
データ項目は同じ名前なのに値の規則性(=観点)が異なるため、担当者間で認識が合わない……(図6)。
そもそも同じ意味をもつ項目なら統合しよう。でも値の規則性(=観点)が異なるため、データ項目名を変える必要がありそうだ。まずは、正式な場を設けて、データの所有者(=データオーナー)を集めて、意味に着目してデータ項目名の見直しが必要なのか、きちんと話し合って決めないといけないぞ!
5. 判断材料と専門家の不足で管理に困っている
誰に相談したらよいのだろうか。そもそも相談できる場があるのかわからない。ルールや方針がなく判断材料がないのも困る。聞いたところで、基礎知識がある人材がそもそもいないようだ。
どうやら、マスターデータの専門組織を作る必要がありそうだ!
6. 共通マスターが機能していない
共通マスターを構築し、共通マスターのコードを使うようにガイドラインにまとめたが、業務部門への浸透が弱く、個別マスターに対して独自のコードを設け、さらに共通マスターのコードとの紐付けもなく、個別化・属人化を進行させてしまった……(図7)。
ガイドラインの他に社内教育やガバナンス体制を組む必要があるが、まずはマスターデータマネジメントに関するガバナンスルールを定める必要がありそうだ!
7. データ保護の取り扱いがわからない
生年月日は個人が提供しているから個人情報のはず。社員名は業務で必要だから全業務部門に公開で大丈夫なはず。社員番号、メールアドレス、役職は、会社が与えているものだから個人情報ではないはず……。
といった感じで確証がもてないまま、担当者の裁量でデータを使わせているが、本来はデータセキュリティガイドラインを作り、それに基づいて設計する必要があるよな。
7つの問題点のまとめ
7つの問題点についてまとめると、図8のようになります。データモデリングやデータ定義といったマスターデータの整備だけではなく、運用を踏まえた組織作りがMDMの要件に含まれていることを覚えておいてください。
このように管理されたマスターデータを、統制されたマスターデータと言います。
3つのビジネス戦略を知る:DX戦略のMDM
DX実現の第一歩
DX実現の第一歩は、業務データとビッグデータを上手に活用して、顧客のインサイトを獲得し、ニーズに合った商品・サービスを提供し続けることです(図9)。これにより、顧客のエンゲージメントを高めていくことをねらいます。
現在は業務データに加え、ビッグデータを活用できる時代になりました。その結果、顧客が求めていることをより正確に分析することが可能となり、商品やサービスの開発に対する意思決定が容易になりました。この取り組みがデータ駆動型経営の背景にあり、DX推進に必要な経営手法として叫ばれるようになりました。
データ駆動型経営の根幹はデータ活用
データ駆動型経営は、データを活用して意思決定するアプローチです。従来の「K(勘)」「K(経験)」「D(度胸)」による意思決定のアプローチに対するアンチテーゼです。
データ駆動型経営において、データ活用ができることは必要条件です。従来のデータ活用は、経営判断や在庫調整といった経営者・管理者が意思決定できることが求められていましたが、現在はその対象が全社員へと広がりました。
全社員に求められているのは、顧客満足度・サービスの向上を目的に仮説を構築し、データを活用して気付きを得ることです。
図10のサイクルのように組織の在り方を変えることが、データ駆動型経営の実現、そのものとなります。
データ活用におけるMDMの役割
データ活用におけるMDMの役割は、領域横断で統制されたマスターデータを提供することです。
ビジネスサイドは、統制されたマスターデータが使えることで正確な分析結果が得られます。特にマスターデータのコード(識別子)は、データ分析の「軸(ディメンション)」になるため、統一コードを設ける必要があります(図11)。
データ活用におけるMDMの広がり
多種多様な大量データを各領域で気軽に扱えるようになったことで、個人情報や機密情報の取り扱いがより一層難しくなりました。
これまではデータの整理・整頓・清掃といったデータの一元管理がMDMの主流でした。しかし、現在はデータ活用の広がりとともに、データ品質やデータセキュリティ、メタデータ管理がより強く求められています。
データ駆動型経営の実現に顧客マスター管理
先に挙げたように、全社員が顧客満足度・サービスの向上を目的に仮説を構築し、データを活用して気付きを得ることがデータ駆動型経営の必要条件です。そのためには、顧客に関する多種多様なデータが使える状態にする必要があります。
「使える」とは、顧客を識別するコード値が統一されていて、かつ顧客に関する属性(データ項目)の理解が全社員に共有されている状態のことです。これを統制された顧客マスターデータと呼びます。
しかし、現実は統制されていないことがほとんどです。図12の左側は、店舗に来店したお客様とインターネット上の会員が同一人物か把握できない問題の例です。このケースでは、お客様である伊藤さんは店頭でポイントカードを作り、顧客番号=A001が割り当てられました。また、ECサイトでも会員登録し、会員番号=X01が割り当てられました。この結果、同一人物の伊藤さんに対して、別々のコード値が割り当てられ、データ上では同一人物の判断ができなくなりました。
図12の右側のように、本来は企業で同一人物の顧客を1つのコード値で識別ができていればよいはずですが、これまでは領域横断で顧客マスターを共有するビジネス施策がなかったため、統一コードを設ける必要はありませんでした。
このような事象は、組織、社員、仕入先、商品といった他のマスターでも起きています。
3つのビジネス戦略を知る:組織戦略のMDM
製造業の例
製造業では、製品の生産から販売までの一連の流れを効率的に管理し、コスト削減や納期短縮、在庫削減などを目指す戦略としてSCM(Supply Chain Management)やPSI(Production(生産) Sales(販売計画) Inventory(在庫))に関する施策が挙げられます。
SCMとPSIを実現するためには、調達、製造、流通、販売などの業務連鎖において、企業・部門間で相互に情報を共有し、ビジネスプロセスの最適化を目指す取り組みが必要です(図13)。
取り組みの背景には、生産財をきちんと管理するという考えがあります。このことから、各工程でバラバラにならないように購入先や製造の機械、売り先のお客様、そして実際に売られるモノに関する情報を一元管理し、一連の流れを見えるようにする必要があります。
よって、このビジネス施策におけるMDMの対象は、商品、製品、部品、部品表(BOM(Bill of Materials))、製造工程、製造担当などが挙げられます。
小売業の例
小売業では、顧客に対して、商品の詳細情報を正確且つタイムリーに提供し、顧客満足度を向上させる戦略としてPIM(Product Information Management)に関する施策が挙げられます。
PIMは、社内に散在する商品情報を一元管理し、様々な販売チャネル(ECサイト、商品カタログなど)に対して、正確かつ一貫性のある情報を高い鮮度に保った状態で提供する取り組みです。
取り組みの背景には、販売チャネルの多角化に伴い、商品情報の更新が追い付かず、チャネルごとに情報の鮮度がバラついている点が挙げられます。
このバラつきを放置すると、商品の機能や価格などがチャネルごとに違ってしまったというミスが生じ、それがSNSの拡散によって、社会的信用を失うリスクがあります。企業にとっては致命的になるため、多くの小売業では商品マスターの一元管理を真っ先にMDM要件として挙げています。
例えば、図14のような店頭用の商品マスターをECサイトでも使っているケースを考えます。店頭用商品は、店頭に並べる際にどのくらいのスペースを確保すべきか確認するために本体サイズだけがわかればよく、庫内サイズは未登録でした。しかし、ECサイトではお客様が自分で商品機能を確認し、購入の判断を要するため、画像と詳細な商品説明がないのは致命的です。
この例にもあるように、販売チャネルが増えてきているからこそ、マスターデータの一つひとつの項目に対してデータオーナーを定めて、データ品質を維持していくことが求められています。
金融・サービス業の例
金融・サービス業では、マーケティングや営業戦略として従来からあるCRMや2015年頃から広がったSFA(Sales Force Automation)・MA(Marketing Automation)が掲げられ、顧客マスターの統合が主流でした。この取り組みは今も続いていますが、最近のトレンドは、HRM(Human Resource Management)やTM(Talent Management)といった人材戦略に関する施策です。
HRMやTMは、人材を戦略的に管理し、組織の成果を最大化するための取り組みです。取り組みの背景には、少子高齢化に伴う人手不足、働き方改革に伴う残業規制や人材流出が挙げられます。多くの企業では、人手不足による新規受注の制限が死活問題となっています。社内人材育成だけでは追い付かず、協力会社も必要になりますが、スキルやパフォーマンスが読めないため、簡単には外部のリソースを調達することができません。
この問題の解決には、SCMと同じように社内外問わず人に関する情報の共有化が必要になります。主な情報要求は、配置、スキル、経験、知識、パフォーマンス、トレーニング状況、モチベーション、アサイン状況です。
これからのデータ活用では、人に関する施策がますます増えていきます。基本的なマスターデータの要件に加え、LMS(Learning Management System)や案件管理システムから得られる要員に関するデータを連携させて、拡充していくことが、今後のテーマになると予想します。
Point! 組織戦略のMDMとは
組織戦略のMDMとは、顧客戦略、人材戦略、物流・SCM戦略、商品戦略といった特定の組織戦略に基づき、領域横断(企業・事業・業務の横断)を実現するための手段として、統制されたマスターデータを提供することである。
3つのビジネス戦略を知る:M&A戦略のMDM
M&Aを繰り返す企業の取り組み
M&Aを繰り返す企業では、合併によってバラついているオペレーション領域の業務のやり方と業務プロセスを標準化し、業務システムを再構築することで、業務の効率化を目指しています。なお、M&Aを伴わない全社業務プロセスの標準化によるMDMもこの取り組みと同じですが、オペレーション領域のMDMのきっかけがM&Aによる業務プロセスの標準化であることが多いことから、本書ではM&Aを強調しています。
オペレーション領域の業務とは
オペレーション領域の業務とは、バリューチェーン内の業務です(図15)。
バリューチェーンはマイケル・E・ポーター氏が提唱した概念で、直訳すると価値連鎖です。事業活動によって価値が創造されていくイメージです。バリューチェーンには主活動と支援活動があり、オペレーション領域の業務は、主活動にフォーカスした業務となります。
オペレーション領域のMDMの目的
オペレーション領域のMDMは、業務間の情報伝達の効率化を目的にしています。
オペレーション領域における業務間の情報伝達とは、指示や結果といった出来事の共有です。
出来事の説明要素がマスターデータ
出来事には、出来事を説明する要素として、「Who(誰が)、Whom(誰に)、Where(どこで)、What(何を)」といった名詞に相当する言葉が含まれています。例えば、ホームセンターでは、店舗がセンターに商品を発注し、センターは発注内容に基づいて店舗に配送します。
この例では発注や配送が出来事で、出来事を説明する要素にあたる名詞は、店舗、センター、商品です。この名詞に対応付くデータがマスターデータです。
マスターデータは企業全体の共通言語
マスターデータは、出来事を説明する要素です。この要素が企業全体で共通の言葉になっていないと業務間での情報伝達が難しくなります。
このことから、オペレーション領域のMDMは、統一コードだけでなく、データ項目の統制も厳密に行う必要があります。特に企業横断、事業横断、業務横断、個別業務の4つの視点で整理し、共通項目と個別項目に分けて、統制する必要があります。
M&Aの繰り返しはデータ連携が複雑になる
合併の都度、業務のやり方と業務プロセスの標準化に合わせて業務システムも再構築されればデータ連携はシンプルになります。しかし、現実は合併の都度、システムを再構築することはコスト面から難しいです。
そこで業務システムをどちらかの企業に合わせる、コードの発番ルールを変えて運用する、コード変換で繋ぐといった様々な工夫をして対応します。
このような対応は一時的であれば耐えられますが、時間の経過とともに継ぎ接ぎシステムとなり、システム保守のコスト増・人材不足が問題となってきます。
さらにこの問題は、ごく一部の社内SEもしくは外部のシステムベンダーの限られた人しか知らないといった属人化が進み、最終的には誰も触れないといった問題にまで発展します。
これが2025年の崖で叫ばれている社会問題の話にまで繋がります。
M&Aにも耐えられる組織運営が必要
M&Aを繰り返す企業は、合併そのものが企業文化として根付いています。このことから、合併を前提とした組織(体制・役割・プロセス・ルール含む)とシステム基盤に変えなければなりません。
そのためにも、経営者はマスターデータのガバナンスが効く組織作りを目指す必要があります。
Point! M&A戦略のMDMとは
- オペレーション領域の業務プロセス標準化に伴うMDMである
- その本質は業務間の情報伝達の効率化である
- 業務間の情報伝達とは、指示や結果といった出来事の共有である
- 統一コードだけでなく、データ項目の統制も厳密に行う必要がある