正確な見積書を巡り起きた裁判
今回は普段と少し趣を変えて、情報システム開発契約の「見積書」について争われた裁判について取り上げたいと思います。
ITベンダーにシステム開発や保守・運用などを依頼する際、当初示された見積額が後になって上がってしまったので「これでは困る」と言うと、先方から「当初の見積書は正式なものではありませんでした」と反論される。こんな経験をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか。
あるいはITベンダーの立場で様々な前提条件を付けて見積書を出したのに、「出してもらった見積もりには押印もなく、正式なものではないので前提条件など知らない」とお客さんに言われたという経験はありますでしょうか。
今回お話しするのは、どちらかと言うと後者に近い事件です。見積書が正式なものであったかどうかによって、4億円以上の損害の是非が争われたものです。システム開発そのものの問題ではないのですが、読者の皆さんがITの発注や受注をするときに頭において置かれると良いだろうと思い、今回取り上げることとしました。それでは、今回の判例について見ていきましょう。
東京地方裁判所 令和3年8月3日 判決
あるクラウドファイリング(インターネットのクラウド上に顧客の文書等の保管をするサービス)事業者(以下原告企業と言います)が、顧客企業との間で契約期間を5年とするサービス契約を締結した。
契約に先立ち、原告企業が提示した見積書には、契約5年間とすること、途中で解約をする際には契約期間残月数に応じた解約料(残月数×月額利用料)が必要であることが記されていた。なお顧客企業からの発注は注文書によって行われ、解約料等の契約条件は見積書に記されているのみだった。
ところが、顧客企業はサービス開始から数ヵ月後に契約を解除した。このため、原告事業者は顧客企業に解約料等の支払いを求めたが、顧客企業がそもそも見積書は押印もないドラフトに過ぎなかったとして解約料の支払いを拒んだため裁判となった。
出典 Westlaw Japan 文書番号 2021WLJPCA08038002
随分と粗っぽく要約してしまったので、これだけを読むと顧客企業がわがままなように見えてしまいますが、顧客企業も注文書を発行して、実際に使った分は支払ったようですので、問題はその後の解約料です。これについては正式な契約書はなく、見積書に前提条件として書いてありました。しかし「この見積もりには押印もないことから正式なものではなく、そんな文言には縛られない」と顧客企業は主張しています。サービス自体というより、見積書が正しいものかどうかで4億4,000万円近い金額が争われたわけですから、かなり大事になってしまいました。
民法上は印鑑は不要のはずだが
契約に関する法律の入門書などを読むと、割と初めのほうに “契約の自由”というものが書かれており、その中には「契約は形式も自由」といった趣旨のことが記載されています。契約を取り交わすには双方が同意していれば必ずしも契約書は必要ではなく、口頭の約束でも立派な契約になります。今回の場合も契約自体はあったと考えられます。ただ問題は“その前提条件が書かれている見積書の記載が契約内容に含まれるのか”。これが問題になります。
原告企業のほうでは「こちらが出した見積書自体正式なものだから、そこに書かれている内容は即ち契約の内容だ」と訴えています。一方で顧客企業は「見積書は社内稟議に使う参考資料に過ぎない。正式な発注は注文書によって行ったのだから見積書に記載された契約期間や解約料は契約条項にはならない」と言っています。
さて、皆さんはどちらの言い分が正しいと思われるでしょうか。判決の続きを見てみることにしましょう。