なぜ自動車セキュリティの強化は難しい?AI攻撃や量子コンピューターの脅威が迫る中、着手すべき対策とは
【第2回】自動車サイバーセキュリティの現状と未来:次の5年で激変する脅威環境と防御戦略
次の5年で激変する脅威環境
AI攻撃の新たな脅威:ゼロデイ攻撃の自動化
SDV時代の膨大なソフトウェア基盤において、AI(特にLLM:大規模言語モデル)を活用した攻撃手法が新たな脅威として浮上している。LLMは膨大なコードベースから脆弱性を効率的に発見し、ゼロデイ攻撃や複数の脆弱性を組み合わせた“連鎖攻撃”のためのプログラムも自動生成できる。
また、AIはシステムの動作パターンを深く分析し、従来の手法では見落とされがちな脆弱性も発見できる。SDVは、従来型の車両と比べてソフトウェアの規模と複雑性が格段に高く、コンポーネント間の相互作用も多岐にわたるため、人手による“脆弱性の発見”が困難である。そのため、AIによる自動的な脆弱性の発見とエクスプロイト化は、SDVにとって特に深刻な脅威となる。
量子コンピューターの脅威:現在の暗号が無力化される日
量子コンピューターの実用化は、現在の公開鍵暗号システムに対する根本的な脅威となる。RSA暗号やECCは、十分に強力な量子コンピューターによって短時間で破られる可能性があるからだ。
現在の予測では、暗号学的に意味のある量子コンピューターの実用化は2030年代とされているが、その時点で稼働中の車両の多くは、量子コンピューターの脅威に対して脆弱な暗号技術を使用していることになる。
特に車載システムは、ハードウェアの刷新なしでPQC(Post-Quantum Cryptography:ポスト量子暗号)に対応するには、演算性能とフラッシュ容量が不足するケースが多くなるだろう。PQCアルゴリズムは、従来の暗号技術と比較して、より多くの計算資源とメモリを必要とする傾向にあるからだ。
物理攻撃の脅威:ハードウェアレベルの脅威
フォールトインジェクション攻撃は、電圧グリッチ、クロック操作、レーザー照射、電磁パルスなどにより、チップの動作を一時的に不定化させることで、本来のセキュリティ制御(例:認証、セキュアブート、ファームウェア検証)をバイパスしようとする手法である。こうした攻撃により、HSM(Hardware Security Module)やセキュアブート機構の認証をすり抜け、改ざんファームウェアの起動や機密データの抽出が実現される例も、研究レベルでは複数確認されている。
また、「サイドチャネル攻撃」も同様に、電磁波、消費電力、演算タイミングといった副次的な漏えい情報を分析することで、暗号鍵やセキュリティアルゴリズムの内容を推定・抽出する手法である。
近年では、物理攻撃に必要なツールやテスト機器の低コスト化が進み、研究者や攻撃者がより容易に高度な物理攻撃を実施できる環境が整いつつある。しかしながら、この種の攻撃は物理的なアクセスを前提とするため、遠隔からのサイバー攻撃と比較すると、実車両に対する直接的な脅威としては、現時点では限定的である。また、攻撃を成功させるためには、依然として専門的な知識、高度な設備、そして多くの試行錯誤が必要とされることから、量産車に対する実際の悪用事例は極めて少ない状況にある。
しかし、研究目的以外での悪用事例が現時点で報告されていないからといって、「将来にわたってリスクが低い」と判断することは危険である。車両の使用期間が10年以上におよぶことを考慮すると、攻撃技術の高度化、攻撃コストの低下が加速する可能性がある。
防御戦略
新たな脅威に対応するためには、まず従来から確立されているセキュリティ対策を確実に実施することが前提となる。セキュアブート、暗号化通信、適切なアクセス制御、ネットワークセグメンテーション、定期的な脆弱性評価、セキュア開発ライフサイクル(SDL)の徹底といった基本的なセキュリティ対策は、依然としてすべての防御戦略の土台である。
従来型の脅威に対する堅実な防御基盤の上に、さらに「次世代の脅威」に対応するための高度な防御戦略を積み重ねる必要がある。
OTAアップデートの戦略的重要性
従来型の車両では、セキュリティ修正をともなうECU(Electronic Control Unit:エレクトロニック・コントロール・ユニット)書換えがリコールやサービスキャンペーンに直結し、車両を整備工場へ回収する手間とコストが大きな課題となっていた。これら一件当たりの費用は数十億円から数百億円に達することもあり、自動車メーカーにとって大きな経営リスクとなっている。また、リコールやサービスキャンペーンの対応には数ヵ月から数年の時間を要することも珍しくなく、その間に脆弱性が悪用されるリスクは放置されることになる。
AI時代における脅威は、ゼロデイ攻撃やLLM生成マルウェアのようにスピード感をともなうものだ。つまり、攻撃者がAIツールを使用することで、脆弱性を発見してから攻撃するまでの時間が大幅に短縮される可能性がある。リアルタイムにパッチが適用できない車両は、発見から攻撃までの「露出時間」が長期化し、結果的に最大のリスクを背負うことになる。
したがって、オンラインで暗号署名付きファームウェアを配布・適用するOTA基盤は、もはや利便性の「オプション」ではなく、「サイバーセキュリティ実装のコア機能」であり、脆弱性が発見された際に、迅速かつ安全にパッチを適用するための実用的な手段となっている。
防御側のAI活用:攻撃AI vs. 防御AI の競争
攻撃と防御のAI技術競争は、今後さらに激化すると予想される。防御側もAI技術を積極的に活用し、脆弱性の自動検出や異常検知の高度化、攻撃パターンの予測など、より効果的な防御メカニズムを構築することで、自動車サイバーセキュリティの進歩を加速させることができる。
AIベースのIDS(Intrusion Detection System)やIPS(Intrusion Protection System)は、従来の手法では検出が難しかった微細な異常も発見できる。また、強化学習などを取り入れた「ファジング」では、従来よりも潜在的な脆弱性を早期に発見できるケースが増えている。
量子耐性への移行:現実的なロードマップを考える
長期間使用される自動車を量子コンピューターの脅威から守るためには、OTA可能なソフトウェア層で軽量なPQCを段階的に導入し、ハードウェアに応じてアルゴリズムを選択するアプローチが現実的である。この戦略では、まず重要度の高いシステムから順次PQCに移行し、その後ハードウェアの更新サイクルにあわせて、より広範なシステムへとPQCの導入を拡大していく。これにより、既存車両の制約を考慮しながら、量子コンピューター時代への移行を効果的に進めることができる。
また、ハイブリッド暗号方式の採用も検討されている。これは、従来の暗号技術とPQCを組みあわせることで、現在の脅威と将来の量子コンピュータの脅威、両方に対応する手法である。
物理攻撃対策:ハードウェアとソフトウェアの連携防御
物理攻撃に対する対策には、センサーフュージョンによる異常検出、取得時間のランダム化、冗長チェックのロジック化などが効果的である。また、OTAでマイクロコードを更新できるSoCは、最新の物理攻撃対策を即座に導入できる点で優位性を持つ。
業界連携による協調防御
自動車業界横断での脅威インテリジェンスの共有、SOC(Security Operation Center)間のリアルタイム連携も推進すべきである。一つの自動車メーカーやサプライヤーで発見された新しい攻撃手法、脆弱性の情報を業界全体で迅速に共有することで、被害の拡大を防ぐことができるだろう。
持続可能なセキュリティエコシステムの構築
自動車セキュリティの未来は、「AI攻撃の高度化」「量子コンピューターによる暗号破綻」「物理攻撃の低コスト化」という三重の課題に直面している。これらの課題を解決する鍵となるのが、AI技術やOTAを軸にした「継続的なセキュリティ運用」である。
車両のライフサイクル全体で脅威を監視し、AIで異常を検知し、脆弱性を継続的に修正しながら、量子耐性や物理攻撃耐性を“ソフトウェアで継続的に強化できる”体制を確立することで10年後、20年後も安心して走れるSDVの実現が可能となる。
しかし、技術的な解決策だけでは不十分である。業界全体での協力、人材の育成・確保なども必要である。自動車のサイバーセキュリティは、単一の企業や技術では対応できない複雑な課題であり、エコシステム全体での取り組みが不可欠である。
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山本 精吾(ヤマモト セイゴ)
VicOne株式会社 エンジニアリング部 スレットリサーチグループ シニアセキュリティリサーチャー
ITシステムの運用開発業務ののち、2014年よりIT、クラウド、IoT、車載などのシステムに対するセキュリティ診断、ペネトレーションテスト、セキュリティコンサルティングなどを経験。 現在はVicOneにて自...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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