超速フリックで指紋にサヨナラ! (効果には個人差があります)
フリック入力は、速い。
そして、村人たちの朝もまた早い。
「速いのか」
「速いらしいぞ」
「どのくらい速い」
「■■を■■した■■名人より速いらしい」
「そんなに速いか」
「いや、それどころか、競馬中継のアナウンサーによる
ゴール直前のデッドヒートの実況よりも速いらしい」
「そんなに速いのか」
「いや、わしが聞いたところによると、TVアニメ『北斗の拳』で
主人公を演じる声優が『あたたたたたた』と絶叫するよりも
速いらしいぞ」
「そうか、そんなに速いのか」
そんな風に村人たちがひそひそと噂をするくらい、
たしかにフリック入力は速いのです。
それはもう、慣れれば慣れるほど超人的に速いのです。
「考えるのとおなじ速さで書く」ことは、人類(の一部)が
数百年にわたって追い求めてきた理想です。
ワードプロセッサーの登場は、この方向へのとても大きな
前進をもたらしてくれましたが、高速な入力を阻むキー配列を
タイプライター時代から引き継いでいたり、
満足できる入力速度はとても得られませんでした。
しかし、iPhoneをはじめとする最新の電子機器に
採用された「フリック入力」という新方式の登場が、状況を一変させました。
常識をくつがえすその入力スピードの速さは、
ついに思考と同じ速度の入力が可能になったと思わせ、
それどころか、かつては物理学の世界における光速の壁のように
本質的に越えることのできないものと考えられてきた
思考速度(考速)の壁を入力速度が越えることすら
決して不可能ではないと、多くの人々に信じさせたのです。
信じる人の数が十分なら、それはもはや事実です。
思考が頭に浮かぶ前に、すでに眼前のディスプレイにには
その内容が綴られているという状態。
それは未来の予知を意味しているのでしょうか。
いいえ、それはただ、とてもとても早い入力なのです。
「越えられるのか」
「越えられるらしいぞ」
「どうしたら越えられる」
「思考と入力の向きを直交させるといいらしい」
「それはできるのか」
「わからん」
思考よりも早い入力の追求は、
前世紀における航空機の超音速飛行への挑戦の軌跡に
どこか通じるような道筋をたどり、
山をなす無数の滑稽な失敗のかたわらで、
拍子抜けするほどシンプルな発見が
思わぬ方向から突破口を穿ちました。
入力の速度が考速の壁を越えるために必要だったのは、
逆説的に、思考の速度を極限まで早めることでした。
思考のスピードに追従して引き上げられてゆく
入力の速さがある閾値を越えたとき、入力は
それ自体の推進力を得て、思考を振り切るように
猛烈な加速をみせるのです。
「越えたか」
「越えた」
「ほんとに越えたのか」
「ほんとに越えた」
「どうなった」
「壊れた」
「なにが」
「精神が」
そして、音速を上回る速度に達した実験機が
その衝撃に耐えきれずに空中分解してしまったように、
考速を上回る入力に人間の精神が耐えられず、
「文中分解」と呼ばれるある種の崩壊を迎えてしまったのです。
どうにか一命をとりとめた被験者は、
帰還後、みずからの体験を村人たちに語りました。
「腹がへった」
「とても空腹だった」
「とにかく腹が減っていた」
スピードの極限から彼が持ち帰ることのできたのは、
極限の空腹の記憶だけでした。
村人たちは宴席を設け、被験者にたらふく食わせました。
極限の満腹状態におちいった被験者は
しあわせな表情で昏倒したのだということです。
どっとはらい。