大学院を出たあと、SI企業のエンジニアとしてIT業界に入った。その頃、SunのUNIXマシンが開発に用いられていた。その後、UNIX専門の雑誌編集の仕事に就いた。作業環境はSunのワークステーションの上でエディターにEmacs、組み版処理ソフトウェアはTeXだった。次はOracleでマーケティングの仕事をした。担当はUNIXプラットフォームなどエンタープライズ向け製品だった。長い間、UNIXプラットフォームばかりが仕事対象で、Windowsの扱いなどはあまり得意でなかった。
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谷川 耕一(タニカワ コウイチ)
EnterpriseZine/DB Online チーフキュレーターかつてAI、エキスパートシステムが流行っていたころに、開発エンジニアとしてIT業界に。その後UNIXの専門雑誌の編集者を経て、外資系ソフトウェアベンダーの製品マーケティング、広告、広報などの業務を経験。現在はフリーランスのITジャーナリスト...
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