IT開発に限らず、契約を基本契約と個別契約に分けて行うことはよくあります。基本契約では契約の目的とおおまかな成果物等の基本的な事項や個別契約の締結方法、それに情報セキュリティや著作権の扱いなど共通的なことを書き、製品やサービスの詳細や金額、スケジュールなどは、個別契約に記すというやり方です。
特にITの場合、作業開始時点では、作成するソフトウェアの要件が不明確な場合が多いため、まずは基本契約だけで作業に着手し、要件がある程度ハッキリした時点で正式な金額と納期を書き込んだ個別契約書を作成することがよく行われます。(個別契約書の代わりに、注文書と請け書のやりとりで行われる場合もあります。)
ただ、いくら「基本」とはいえ契約を結ぶからには、ユーザはおおまかなシステムのイメージを元に大体の金額やスケジュールを感覚的に持っていて内部的なコンセンサスも得ているのが普通です。ところが、いざ要件が見えてきて、ベンダから見積もりをとると「費用は想定の倍、納期は半年遅れ」といったこともよくあることで、結局、ベンダとの折り合いがつかずにプロジェクトが中断してしまうこともしばしばあります。今回は、そんな事例のお話です。
個別契約を結べないままプロジェクトがとん挫した事件の例
【東京地方裁判所 平成19年1月31日判決より抜粋して要約】
あるユーザがベンダにクレジットカードシステムの開発を委託した。両者は、開発開始にあたり基本契約を締結して要件定義作業に着手した。開発費用については要件定義作業を進めながら見積もることとし、別途、注文書と注文請け書のやりとりで合意することとしていた。
ベンダは要件定義作業を進めながら、当初、開発費用を約8,200万円とする見積もり書が提示したがユーザ企業は高すぎると同意しなかった。その後、両者は13回の交渉を重ね、見積もり書も8回提示したものの、追加要件もあったことから、金額は、むしろ増加し8回目の見積もり額は約1億円となった。
このため、ユーザはベンダに対して開発の中止を申し入れプロジェクトは中止となったが、ベンダは、”プロジェクトの中断はユーザ企業の一方的な申し入れによるものであり、損害を蒙ったと賠償を求め裁判となった。
また、ベンダは、もし損害賠償が認められなかったとしても、ここまでの作業は、実質的に準委任契約に基づき実施されているので、最低でも、作業を行った分については費用を請求すると、併せて訴えた。
この事件のポイントは、大きく分けて二つあります。一つ目は、この開発について請負契約が成立していたかという点です。請負契約の場合、ユーザ側から一方的に契約破棄してしまうと、ベンダ側が損害賠償請求を行うことがあります。自分達には何の落ち度もないのに、急に破棄されて多大な損害をこうむったというわけです。
損害とは、単にベンダがここまでに働いた分だけではありません。ベンダがこの仕事をするために機器やインフラを準備したとすれば、その費用も請求しますし、二次外注の代金も含まれる可能性があります。また、もしこの仕事をするために他の仕事を断っていたとしたら、その遺失利益も請求される可能性があります。
判決文を見る限り、このITベンダには特に過失のようなものは見当たりません。(見積もり金額が変わったとしても過失ではありません。) もしも請負開発契約が成立しているとなると、ユーザにとってはかなりまずい状況になってしまいます。
もう一つのポイントとしては、請負を認められなかったとしても、ベンダの行った要件定義作業が準委任契約に基づく作業として認められるかという点です。準委任契約の場合、ベンダはシステムの完成とは関係なく、そこまでに行った作業の費用だけは請求できることになります。この件で言えば、要件定義と概要設計の一部にかかった費用は請求できるということになります。
少なくとも商談中、ユーザとベンダは準委任契約を前提に交渉してきた節は見当たりませんし、基本契約書からもそうした記述は見当たりません。しかし、ITベンダは「最低限、働いた分だけは、払ってもらう。」と、この話を裁判になってから持ちだしてきました。
当然、ユーザ側にしてみれば、請負であれ準委任であれ、何一つ得るものなく終わってしまったプロジェクトにお金なんか出したくはありません。
さて、裁判所はどのように判断したのでしょうか。