「日本で立ち上げをするから手伝ってほしい」でスイッチが入る?
学生時代からバンドをやっていた。担当はギター。音楽への情熱を胸に湘南を飛び出し、サンフランシスコへ。「行けばなんとかなると思ってね」と竹森さんは笑う。サンフランシスコ時代は日本の土産物店でバイトもした。ユニオンスクエアで日本人観光客に声をかけ、店に誘導できればいくらかのキックバックをもらえた。
いつしか「もうなれないな」と観念して帰国。アメリカ生活で英語とタイピングができたため、テレックスの仕事をしたそうだ。竹森さんは「テレックスって分かる?」と筆者に気遣ってくれたが、よく分からない。ファックスみたいな通信手段……だったような。
竹森さんはスタートアップを数多く渡り歩いた。「ここに加わろう」と決断するのはどんな時だろうか。竹森さんはある会社に入社する時のいきさつを話してくれた。
竹森さんがある会社の採用面接に赴いたところ、話しているうちに採用部署の責任者が「私はもうすぐここを辞めるのですが」と明かしたのだ。それで後任を竹森さんに打診するのかと思いきや、「私が次に行く会社で一緒にやりませんか」と。まさか採用面接がヘッドハンティングになってしまうとは。
予想外の展開だったものの、オファーを受けることにした。「日本にまだない事業を立ち上げるスタートアップ」と聞いて興味がわいたそうだ。新規事業の立ち上げは竹森さんにとって「琴線に触れる」ものだそうだ。やる気スイッチが入るのだろう。ただしスタートアップは不確実性そのもの。うまくいかないまま終わった事業もあった。
スタートアップだと少人数で活動することが多い。Wind Riverの日本での立ち上げに携わった時は、サーバーを携えて3人で日本中を行脚したそうだ。まだメモリが高価だった時代に小さなフットプリントで動く組み込み用のOSが強みだった。「まだみんなが知らないものを広めるのが楽しくて」と竹森さんは話す。
組み込みに携わったことで、マイクソロフトから誘われたこともある。組み込み用のWindows CEを立ち上げる時で「(すでに大企業に成長した)マイクロソフトといっても、組み込み事業はスタートアップと同じですから」と口説かれたそうだ。