「DX」とは、どのような変革なのかを見つめなおす
DXは100年に一度の大変革ともいわれ、多くの人は戸惑いつつも、明治維新やそれ以前の大変革期を乗り越えた偉人たちを参考にしようとするだろう。しかし和泉氏は、「そうした人々が、はたしてその前の大変革期の先輩達を参考にしようと思っただろうか」と投げかけ、さらに、IT技術者が陥りやすい傾向として、John Seely Brown著『なぜITは社会を変えないのか』から「ハンマーを持つ人」を引用。「技術というハンマーをもっていると、すべてが釘に見える=活用法や目先のことばかりに気を取られ、本質的な改革に至らない」と語り、「企業や組織の競争戦略には、『better=改善』と『different=別物』の2通りがある。IT技術者の役割は、デジタルで社会がどのように変わるのか、どうデザインするかにあるのではないか」と訴えた。
デジタル時代では、いいものを作っていれば売れるということが成り立たない──。誰もがそう認識、理解しているに違いない。その本当の意味を象徴するのが、コンピューターシステムというウィンドウの窓、そしてリアルな窓の2つだという。まず、リアルな窓から見れば、かつての街の景色が馬車から自動車に取って代わられたように、現代の人々の生活から一つの場面を切り取った写真には、いまや必ずスマホが映っていることが多い。ごく当たり前と思っている日常生活が、ここ10年でガラッと変わってしまった。一方、パソコン内の窓を見てみると、あまりにもUI/UXが悪い物が多い。業務システムのインターフェイスはホストコンピュータ時代から変わっていない可能性さえ否めない。
和泉氏は「24時間スマホを持ち歩くような時代にあって、どのような価値を提供するのか。デジタルによる収益化とは、デジタルのインフラの中でスケールするようなビジネス、あるいは国境が消え、広がっていくようなものであるはず」と投げかける。
それは今に始まったものではなく、『DXレポート2』(あるいは『DXレポート2.1』)で既に触れられていたことであり、人口減による市場縮小の中、既存産業として「パイ」を奪い合う「1階の産業」、そしてデジタルを中心に世界規模のスケーラビリティが期待できる「2階の産業」として表現されている。今までのIT産業は1階で、2階にはDX・デジタルと言いかえられた形の新たな産業があることを強調してきた。たとえば、1階の産業を支えるオンプレミスサーバーの市場は年間10%以上も縮小しているのに対して、2階のクラウドインフラは年率37%で急成長しているという。
しかし、多くの企業にとっては「我が事と思えない」というのが実状のようだ。たとえば、コンテンツ業界では優れた作家の世界観を、優れたクリエイターが集まり、真摯に再現するというのが業界の定番であり強みだった。しかし、いまやオンラインでアクセス状況や課金状況が手に取るようにわかる。そのため、経験あるディレクターの判断がときにデータによって覆されることも多々生じているという。和泉氏は「こうしたことは、グローバル企業や大企業に限ったことではない。規模の大小に関わらず、さらには地方でも都市部でも等しく同様に進んでいくだろう」と語る。
たとえば、京都のHILLTOP社は、元々はアルミ切削の工場で価格競争に対峙していたところ、DXを実現。職人が削り出すスタイルから、データによる最適化により自動的に削り出すスタイルへと進化させた。図面からプログラム、3Dシミュレーション、実際の削り出しまで短期間で行えるようにしたことで、試作品など少量の注文が8割を占め、短納期対応を重ねる中、利益率が20%以上に急上昇したと言われている。
さらに米国からの注文を受けるようになった現在、米国にも拠点を設立している。受注は米国、プログラムは日本、削り出しと納品は米国という連携によって、いわば京都の町工場がグローバル企業へと躍進したわけだ。
和泉氏は、「DXの本質、いわばデータとデジタル技術活用のポイントは、経営環境の変革にある。つい日本では、業務の標準化というと作業効率化やムダを省くことなどに注力しがちだが、本質は経営判断の高度化にある」と強調する。