
企業のデジタル変革において、ビッグデータ、IoT、機械学習、RPA、生成AI──次々と登場する新技術に飛びつく一方で、多くのDXプロジェクトが「消化不良」に終わっている現実がある。SIer出身からSalesforce界隈で15年のキャリアを積み、コンサルティング会社の起業・売却を経験した佐伯葉介氏は、この構造的課題に対する現実解を提示する。今月から開始予定の『成果を生み出すためのSalesforce運用』では実践的知見を体系化した同氏の15年間の現場経験から、DXとIT活用の本質的課題と解決の糸口を探る。今回はその全体像について話を聞いた。
テクノロジー導入の「消化不良」が起きる構造的理由
「ビッグデータもIoTも機械学習も、私たちはほとんど消化せずに置き去りにしてきた」。佐伯氏のこの言葉は、多くの企業が抱える深刻な現実を端的に表している。
新技術が可能にした機能や価値は数多く存在するにもかかわらず、実際にビジネス成果を上げている事例は驚くほど少ない。その根本的な原因について、佐伯氏は2010年代のビッグデータ・IoTブーム時の経験を振り返る。
「『ビッグデータを収集・分析し、機械学習に基づいて最適ななんとかを実現する』といった技術先行の提案書ばかりでした。そもそも自社のサービスや商品が、どんな顧客のどんなシーンで役立つのかという基本的な想像力が欠けていた企業がほとんどだった」

ビッグデータではなく1件のデータから本質を見抜く
佐伯氏がシェアサイクル事業のプロジェクトで経験した事例は、この問題を象徴的に示している。機械学習による自転車の自動配置最適化システムの構築を目指していた運営会社で、1件の利用ログを詳細に分析したところ、システム以前の重要な問題が浮き彫りになった。
月間数十回利用するロイヤルユーザーが、ある日だけ一晩中自転車を借り続けていた。調査の結果、普段利用する返却ステーションが満車だったため、やむを得ず自宅に持ち帰り、高額な料金を請求されていたことが判明したのだ。
「優れたマーケターであれば、このような個別事例から重要な示唆を読み取り、サービス設計の改善やユーザー満足度向上の施策に活かすことができます」
複雑で大量のデータから示唆を得る前に、シンプルな推移データから施策を変更したり、1件のデータからアラートのような兆候を読み取って行動を起こしたりする人間の活動の方が、はるかに重要で実践的だと佐伯氏は指摘する。
なぜSalesforceを題材とするのか
数あるITツールの中で、佐伯氏がSalesforceを題材に選んだ理由は明確だ。「Salesforceの導入や運用の課題や失敗原因を考えることで、戦略からIT、オペレーションまでを設計できる」点にある。「目的は1つでも、戦略はバリエーションがある。手段(Salesforce)から見て相性の悪い戦略だったら、それは絵に描いた餅になる」という。
Salesforceのようなスイート製品は、ERP以外のほぼ全領域をカバーするため、企業のIT活用における本質的な課題が見えやすい。多数のSaaSを組み合わせた場合、「ツール独自の課題、ツール間連携の課題のような、ペイン解決のためのペイン」が発生し、本質的な課題が隠れてしまうリスクがあるからだ。
Salesforce導入失敗の構造的要因
15年間の経験から見えてきた失敗パターンには、明確な構造がある。導入や失敗の例として、よく指摘される「標準機能を使わず9割が個別開発」といった問題について、佐伯氏は「それ自体は当事者は分かっていたはず。それでも多くの企業が陥る構造的原因に目を向ける必要がある」と強調する。
最大の問題は、要件を出す側と実装する側が分離していることだ。「システム管理者は現場から『項目追加してくれ』『ダッシュボード作ってくれ』と言われて作るを繰り返し、それで1日が終わる。結局データを見ていないから、分析用に項目を作ったのにデータが入らず分析できない」
さらに、売り手側の交渉力不足も構造的要因として働く。「『この要件を飲めないなら買わない』と言われれば、どうしても個別開発が増える。プロジェクトが始まってからも、『開発しないと意味がない』というコミュニケーションに陥りがち」だという。
日本企業がAIで「次の一手」を踏めない理由
生成AIブームの現在、SalesforceもAgentforceなど積極的にAI機能を展開している。しかし佐伯氏は「基本的なSalesforce活用ができていないと、高いだけのツールになる」と警告する。
SalesforceのAI機能は標準オブジェクトや項目、メタデータを持っており、顧客軸や営業担当者軸で情報を取得できる構造になっている。そのため、汎用LLMと異なり、組織の文脈や業務の目的を理解した上で推論が可能だ。
特にAgentforceは、企業内ユーザの代行や支援を前提とした「クライアントサイドのAI」として設計されている。ユーザーの職能や業務の目的、データ構造の意味を最初から理解しているため、目的に合わせてチューニングしたプロンプトをLLMに渡すことができる。
しかし、現在のSalesforce活用が業績に直結するような有意義な使い方をできていない場合、AI機能は十分に発揮されず、コストに見合わない結果となる。イレギュラーな使い方やカスタム開発ばかりしていると、Agentforceが想定する価値の出し方と合わなくなり、推論に必要なデータ構造を参照できなくなってしまう。
データマネジメントの現実解
多くの中堅・中小企業におけるAI活用のためのデータマネジメントについて、佐伯氏は現時点での現実解として方針を示している。「BigQueryやSnowflakeやRedshiftなどのデータウェアハウスを持っているのであれば、そこに集約するのが基本方針」と明言する。
「Salesforceは使うためのデータを高いストレージ料金で設定している。貯めておいて『いつか使おう』というデータには、パフォーマンス的にもコスト的にも合わない」
その上でLLMサービス側の進化やSalesforce以外の関連システムにおけるAI対応の動きをみながらシステム間の責務、AI活用のアーキテクチャについては慎重に検討することを推奨している。「最近はグランドデザインを書いてほしいという相談が非常に多い。指針を示してあげれば社内で議論を続けられる」
文化を変える実行力こそが成功の鍵
佐伯氏は今後の新連載において、「DXとかAIとか言っているようでは無理〜Salesforceの基礎ぐらい知っておかないと」というメッセージを基軸に据える。この警鐘の背景には、企業のIT活用に対する根本的な認識不足への危機感がある。
生成AIの進化と広がり、各種サービスの進化、テクノロジーの進歩が目覚ましい今、企業はテクノロジーが自社の事業活動に革命を起こしてくれることを期待している。しかし現実は、「専らコンシューマレベルで普及したサービスがビジネスに持ち込まれ、それらを使いこなすというよりも消費しながら変化してきただけ」だと佐伯氏は指摘する。
優れたコンシューマサービスが人々のライフスタイルや文化を変えて普及してきたように、企業におけるIT活用も「まさに日々の行動を、習慣を、文化をどう変えられるかに尽きる」。つまり、技術の導入だけでなく、組織の行動変容を促す実行力が成功の決定要因となる。
「IT投資に対してそれ以上の成果を受け取れるかどうかはバイヤーであるユーザ企業に掛かっている。目的が叶えば手段はなんでもいいが、実行できなければ意味がない」。だからこそ佐伯氏は、Salesforceを題材として自社の課題や取り組みを考え、具体的な問いを見出してほしいと呼びかける。
連載で解き明かす実践的アプローチ
次回から始まる連載では、15年の知見を体系化した以下の6つのテーマで、商談管理から始まる段階的アプローチ、データ活用の実践論、AI時代の新たな可能性まで解説していく。
- なぜSalesforce導入は失敗するのか
- 大事なものはすべて商談管理に詰まっている
- 標準vsカスタム 機能比較に陥る前に理解すべき"真価"の話
- こんなCRMは嫌だ〜なぜ活用できないデータばかり集めてしまうのか
- 生成AIという次の一手を踏めないのはなぜか
- ビジネスオペレーション(BizOps)で戦略を実現する
流行の技術に振り回されるのではなく、目的と課題を見据えた地に足の着いたIT活用。SIer時代の堅実なアプローチからクラウド時代の俊敏性まで、幅広い経験に裏打ちされた「現実解」が、多くの企業のDX成功への道筋を示してくれるはずだ。
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京部康男 (編集部)(キョウベヤスオ)
ライター兼エディター。翔泳社EnterpriseZineには業務委託として関わる。翔泳社在籍時には各種イベントの立ち上げやメディア、書籍、イベントに関わってきた。現在はフリーランスとして、エンタープライズIT、行政情報IT関連、企業のWeb記事作成、企業出版支援などを行う。Mail : k...
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