日本でのOracle普及とともに歩んできた
恥ずかしながら、富士通北陸システムズがこれほどOracleに強いシステムインテグレータとは知らなかった。
「富士通グループ内では『Oracleなら富士通北陸システムズ』と認知されています。富士通グループで請け負うOracle関連のビジネスは当社へ入ってきます。また、サーバーやストレージを構築する案件でもデータベースが関係するのが普通ですから、そうした方面からも当社に仕事が回ってきます」(小野さん)
しかし、設立当初は富士通の独自UNIXやワードプロセッサ(当時はPPと呼んでいた)の開発会社だったそうだ。その後、俗にいう「フィールドSE」が顧客企業に出向きシステムを構築するシステムインテグレーションも、主な業務の1つになっていったという。
Oracleを扱うようになったのは1991年のこと。富士通独自UNIXの開発を同社が行っていたこともあり、そのUNIXへOracleを移植する作業を託されたことがきっかけである。また、移植作業を並行して、Oracle製品のサポートビジネスも始められた。サポートビジネスは成功を収め、2000年には東京事業所を開設。Oracleデータベースの設計・構築まで手がけるようになった。
ところで、現在ではリレーショナルデータベースの代表的な製品となったOracleであるが、1991年ごろはどちらかというとマイナーな存在。1992年に現在の基本機能がほぼ備わったOracle 7がリリースされたものの、製品が広く認知されているとはいえなかった。小野さんも、お客様から「Oracleって何?」と聞かれることがあったそうだ。
転機は1996~1997年にかけて。Oracle 8がリリースされるこの時期に、ようやく大企業でOracleの認知と採用が進んだのだ。それと歩調を合わせるように、日本オラクルはOracle技術者のスキルを認定する資格「ORACLE MASTER」をユーザー企業やパートナーに向けて強く推進。富士通北陸システムズもこの機をとらえ、ORACLE MASTER取得の取り組みを本格化させていく。
「Oracleに関する技術力をアピールするのに、ORACLE MASTERが使えるようになったんです。同様の理由で、この時期にORACLE MASTER取得に力を入れ始めた会社は他にもありましたね。日本オラクルもこうした動きに呼応して、ますますORACLE MASTERに力を入れるようになった。製品ベンダーとパートナー双方の意識や方向性が一致したんです」(小野さん)
それから15年以上たった今でも、富士通北陸システムズはORACLE MASTERの育成に積極的に取り組んでいるという。新人教育でも、もちろんOracleの研修が柱となっている。