というわけで今回は、とある金融系企業の超ミッションクリティカルなデータベースシステムの開発に携わった日立のトップエンジニアの方々に、プロジェクトの舞台裏についてあれやこれやと聞いてきた。結論から言うと、「ミッションクリティカルを極めるには、ここまでやらないといけないのか!」と、驚きに次ぐ驚きの連続だった……。
ミッション1:「メインフレーム並みに高い信頼性と可用性を達成せよ!」
さて、今回ご登場いただくのは、以下のお三方。
▼日立 ソフトウェア開発本部 DB設計部 担当部長 原憲宏氏
通称「HiRDBのドン」(実際、日立社内の一部ではそう呼ばれているらしい)
▼日立 ソフトウェア本部 第2基盤ソフト設計部 主任技師 中村豊氏
通称「クラスタの鬼」
▼日立 ソフトウェア本部 第1基盤ソフト設計部 技師 渡辺浩平
通称「フェイルオーバー王子」
原さんは日立に入社早々、HiRDBの初代バージョンの開発プロジェクトに参画し、それから今に至るまで、20年以上に渡ってひたすらHiRDBの開発一筋で生きてきた、まさに「HiRDBのドン」と呼ぶにふさわしい大ベテランだ。一方中村さんは、「HAモニタ」という日立のクラスタソフトウェア製品の第一人者。「クラスタの鬼」と勝手に名付けてしまったが(スイマセン……)、実際の人柄は鬼どころか、とっても穏やかで優しそうな印象(と、一応フォローしておく)。で、渡辺さんは日立のディスクアレイ製品の専用ドライバ製品をはじめとする、ドライバ周りを担当する新進気鋭の若手エンジニアだ。
と、一通り登場人物を紹介したところで、早速物語を始めよう。
ときは2002年。原憲宏は追い詰められていた。
「一体、どうすればいいんだ……」
机の上に放り出されたストップウォッチは、ちょうど10分を指したところで停まっていた。10分、30秒、10分30秒……。原の頭の中を、2つの数字が点滅灯のように、入れ替わり立ち代り現れては消える。
「10分かかるフェイルオーバーを、30秒まで短縮しないといけないとは。俺も因果な商売に関わっちまったもんだぜ」
PCの前からゆっくり立ち上がり、窓辺に歩み寄った原の顔を、ブラインド越しの朝日が縞模様に照らす。オフィスから日の出を拝んだのは、もう今週二度目だ。そのまましばらく、目を細めてブラインド越しの景色を見ているようで、その実何も見ていなかった原の脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。胸ポケットから携帯を取り出し、
「もしもし、中村か。俺だ。頼みごとがある」
…すみません、ハードボイルド小説風に紹介しようと思ったんだけど、やっぱり無理がありました。というわけで、ハードボイルド風にデフォルメした原さんではなく、実在の原さんに当時のことを語ってもらいましょう。
「日立のメインフレームを長年使っていただいていたお客さまが、オープン系プラットフォームに移行するに当たっての受け皿として、UNIXサーバとHiRDB、それに日立のストレージ製品を組み合わせたシステムを提案することになったのですが、そこで掲げた目標が『メインフレーム並みの信頼性と可用性』だったんです。これを実現するために、サーバからストレージ、ミドルウェアと、関連するあらゆる製品のキーマンを一同に集めて、日夜検証作業を行っていました」
このプロジェクトに原さんはHiRDBの担当者として、そして中村さんはHAモニタの担当者として参加し、そこで同じ釜の飯を食っているうちに親しくなったそうで。ちなみに、中村さんが担当しているHAモニタという製品は、いわゆるクラスタソフトウェアというやつで、万が一の障害時にシステムを待機系にフェイルオーバーさせる機能を担っている。このフェイルオーバーが、当初は思うようにいかなかったそう。
「ハードウェアと密に連携したクラスタソフトウェアを使って、迅速なフェイルオーバーを目指していたのですが、当時OSとしてAIXを採用したばかりだったせいもあって、HiRDBのフェイルオーバーに10分もかかっていました。これではまずいとということで、皆で必死に問題の切り分けを日夜行っていました」
実は、関係者一同がこれだけ検証作業に必死に当たる理由は、ほかにもあった。既にこのとき、このシステム構成を使った金融系システムの刷新プロジェクトが、水面下で動き始めていたのだった……。