--現在のクラウドの隆盛を考えるとき、2008年という年は大きなターニングポイントだったと思っています。あれから5年という時間が経った現在、クラウドはコンシューマでもエンタープライズでもなくてはならない技術になりました。ファイファーさんはこの5年のクラウドの変化をどのように見ていらっしゃいますか。
ファイファー氏:おっしゃるとおり、コンシューマでもエンタープライズでもクラウドは身近な存在となりました。最初はコンシューマで使われるようになり、やがてその普及がエンタープライズでも無視できない勢いとなる、これはクラウドに限らず、モバイルやソーシャルといったトレンドにおいても同じ現象が起こっています。あるITトレンドが世界を動かすほどのパワーをもつとき、そこでは必ずコンシューマが大きな牽引力となっているのです。
とくにクラウドはモバイルとの相関関係が非常に強く、ここ5年に限っていえば互いに密接に絡みあって発展してきたといえます。モバイルが普及したからこそクラウドが使われるようになり、クラウドが身近になったからこそモバイルのニーズが高まった。互いに補完しあいながら大きくなったことで、コンシューマのみならずエンタープライズにも強い影響を与えるモメンタムを形成できたと思います。
--クラウドとモバイルがともに発展してきたというのはわかりますが、セキュリティやコンプライアンスに神経質なエンタープライズでも使われるようになったきっかけは何だったんでしょうか。
ファイファー氏:SaaS(Software-as-a-Servie)です。とくにSalesforce.comの成功は非常に大きな影響をエンタープライズにもたらしました。現在では企業ユーザでなくとも、Webブラウザとクレジットカードさえあれば、誰もがSalesforceやBoxといったサービスを使うことができます。クラウドとモバイルが業務をいかに効率化するか、SaaSがその事実を世の中に知らしめた功績はかなり大きいといえるでしょう。
むしろSaaSがあまりにも手軽に使えるために、エンドユーザの中にはSaaSをITと認識していない層も存在します。コンシューマ向けのクラウドサービスには無料で使えるものも多いですし、SaaSやクラウドを従来のエンタープライズITのスコープに閉じ込めて考えるのは注意が必要です。ユーザがそう思わなくなってきている(クラウドをITと思っていない)からです。
--なるほど。クラウドとモバイルは、いまや空気のような存在になりつつあるというわけですね。
ファイファー氏:クラウドとモバイルのペアリングはかなり強力です。ここ数年はこの両者によるタッグが支配的なトレンドであり続けるのはまちがいないでしょう。
--すこし前までは「モバイルやクラウドはセキュリティやコンプライアンスの観点からビジネスには使えない」とする企業も少なくありませんでしたが、今はさすがに聞かなくなったような気がします。
ファイファー氏:ユーザに対し「セキュリティが担保されるまでモバイルやクラウドを業務で使ってはいけない」という制限を課することはすでに無意味になりつつあります。なぜならいくら禁止しても、従業員はモバイルやクラウドが便利であることを知っているからです。プライベートで日常的に使っているデバイスやサービス(アプリケーション)を、業務でも同様に使いたいと思うのは自然な流れです。したがってCIOはこうした流れを(セキュリティが危険にさらされるからといって)せき止めるのではなく、いかに安全性を高めながら、クラウドやモバイルを業務に取り込み、生産性の向上やビジネスの収益増につなげる施策を考えるのが仕事だといえます。
--企業におけるモバイルアプリケーションの活用について、ご意見を伺わせてください。モバイルアプリケーションには、企業内で利用するモバイルアプリケーションと、企業が顧客に提供するアプリケーションがあります。企業がモバイルをビジネスの核として有効に活用しようとするなら、それぞれどういった点を留意すべきでしょうか。
ファイファー氏:まずは企業内で従業員に利用させるためのアプリケーションについて考えてみましょう。このとき、企業が取るアプローチは2つに大別されます。ひとつはデバイスをプロビジョンする、つまり企業が許可したデバイスのみを業務に使わせるという考え方で、もうひとつは従業員の私物デバイス持ち込みであるBYOD(Bring Your Own Device)に関する戦略を明確にした上でそれを許可するというものです。
デバイスのプロビジョンはセキュリティレベル(コンテナ化、採用する暗号技術、トークン、etc.)を一定に保つことを可能にします。また、業務で利用できるデバイスを絞ることで、業務アプリの開発ターゲットも決め打ちできます。
一方で従業員の私物デバイス利用を認めるBYODの場合、業務アプリケーションがターゲットとすべきプラットフォームが多岐に渡ってしまうという問題が浮上します。iOS、Android、Windows Phone、Blackberryなど、これらすべてで動くアプリケーションを開発するのは簡単ではありません。そしてまた、セキュリティの担保も困難を極めることになるでしょう。ですが、従業員の満足度の高さ、そしてそれがもたらす生産性の向上を考慮すれば、取り組むべき価値のあるアプローチといえます。
--BYOD戦略のほうがハードルは高くてもやり方しだいでは高い効果が生まれるということでしょうか。
ファイファー氏:というより、シングルプラットフォーム(デバイス)だけをターゲットにした場合、たしかに最初のアプリケーション開発は楽でしょう。しかし、すべての事象は変化を免れません。「これしか使ってはいけない」という強制は、やがて従業員の不満を募らせ、遠くないうちに破綻します。一時的にデバイスをプロビジョンする方針を採るにしろ、中長期的にはデバイスの多様性を考慮した業務アプリケーション開発を視野に入れたほうが、生産性や業務効率の点からも得策といえます。
--その論理であれば、顧客向けのモバイル・アプリケーション開発についても同じことがあてはまりそうですね。
ファイファー氏:より多くのユーザにモバイルアプリケーションを使ってもらおうとするなら、企業は否応なしにマルチプラットフォームを前提とした開発を行わなければなりません。さらに、企業は顧客のデバイスに対してセキュリティソフトウェアをデプロイすることはできませんから、既存のWebベース、もしくはモバイルベースのセキュリティの枠組みに迎合せざるを得なくなります。
--つまり、社内向けにしろ、不特定多数のエンドユーザ向けにしろ、モバイルアプリケーションを開発するならデバイス/プラットフォームの多様性は必ず考慮すべきだと。
ファイファー氏:その通りです。業務アプリケーションと顧客無向けアプリケーションの再利用性という点からもそのほうが理にかなっています。
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--エンタープライズという領域でモバイルアがもっと力をもつためには、HTML5の普及がキーになってくると個人的には見ているのですが、現状ではそれほど強いモメンタムを形成しているようには思えません。ファイファーさんはHTML5の現状における課題をどう捉えていますか。
ファイファー氏:うーん、私はその意見には同意しかねますね。いまやHTML5はほぼすべてのブラウザベンダやWebツールベンダを巻き込んでおり、業界を挙げてのプロモートが続いています。この流れが逆行することはまずないでしょう。
ここでひとつ確認しておきたいのは、HTML5とはHTML言語に限らず、CSSやJavaScriptといったいくつもの技術のゆるやかな集合体であり、決してひとつの技術が成熟したものではないということです。むしろ"モダンWeb"という表現こそがぴったりでしょう。
多くの開発者はHTMLのことをWebアプリケーション開発のための言語として認識しています。ですがモバイルデバイスにフォーカスして考えると、HTML5は単なるアプリケーション開発言語を超えた存在なのです。スマホやタブレットで動くアプリケーションを作ることができる、その点だけでも十分にパワフルなのですが、CSS3とのコンビネーションによりグラフィクスやアニメーションの表現力が上がり、従来のモバイルデバイスでは実現し得なかったユーザエクスペリエンスを提供できるようになりました。それだけではありません。HTML5により、ブラウザのキャッシュやSQLiteデータベース上にデータを保存できるようになりました。これにより、デバイスがネットワークに接続されていなくてもアプリケーションを動作させ、データの確認が可能になりました。なので、HTML5を単なるプログラミング言語のように扱うのはちょっと抵抗がありますね。むしろ"モバイルアプリケーション革命"の土台となる技術と言っても過言ではないと思います。
--ネイティブアプリケーションと比較した場合でもHTML5のほうが有利だとお考えでしょうか。
ファイファー氏:あなたの言いたいことはわかります。実際、デバイスに強く紐付いたネイティブアプリケーションに比べてHTML5は普及していないという意見はよく耳にします。
私ももちろん、ネイティブアプリケーションが役目を終えたとは思っていません。ですが、たとえばゲームのように高精細なグラフィクスやハイレベルなレスポンスが求められている分野を除き、大多数の業務アプリケーションはHTML5で十分なパフォーマンスを得られます。現在、HTML5はたしかに普及過程にありますが、ネイティブアプリとHTML5のハイブリッド化が進むなど、確実にモバイルアプリケーションはHTML5にシフトしつつあるといえるでしょう。
--ネイティブアプリとHTML5のハイブリッド化とは?
ファイファー氏:HTML5アプリケーションは個々のスマホやタブレットのリソース(カメラや通知システム、GPSデータなど)を直接扱うことができません。これらのリソースにアクセスするために、アプリケーション開発者に向けて、ネイティブ用のラッパが提供されることが多くなりました。JavaScriptのコールをネイティブAPIのリクエストに変換してくれるトランスレータですね。この変換されたリクエストを受け取ったネイティブのコンテナがデバイスのAPIにアクセスして、カメラなどを扱えるようにするというイメージです。HTML5→トランスレータ(ラッパ)→ネイティブOS→デバイスという流れですね。このハイブリッドなアプローチは、今後、業務アプリケーションのモバイル化で支配的な流れになるのではないでしょうか。
--では最後の質問をさせてください。アナリストとして回答するのはむずかしいでしょうが、5年後、クラウドとモバイルを中心とするITの世界はどのように変化していると思われますか。
ファイファー氏:まずクラウドですね。先ほどもありましたが、クラウドはエンタープライズでもコンシューマでもトレンドであり続けると予想しています。いわゆる"クラウドスタック"という枠組み - IaaS、PaaS、SaaSという呼び方も含め、こうした区分けはほとんど意味をなさなくなるでしょうね。それから現在、オンプレミスで提供されているサービスのほとんどはクラウドだけのオファリングとなるでしょうね。すでにこれから起業をする会社はクラウドベースのサービスのみしか考えていません。オンプレミスはオルタナにもならないでしょう。
既存のクラウドサービスはさらに成熟していくことは疑いありません。それに伴って、MDM(モバイルデバイス管理)、セキュリティフレームワーク、インテグレーション、APIマネジメントといった分野での責任者(CxO)が必要とされるようになると思います。
5年後という時期なら、おそらくハイブリッドクラウドは頂点を迎えているかもしれませんね。オンプレミスとマルチクラウドの間におけるワークロードやデータの共有がそれこそ誰も意識することなくシームレスに行われていると思います。
モバイルについては今以上にドラマティックな動きが起こっていると見ています。とくにスマートウォッチやスマートグラスといったウェアラブルデバイスに要注目ですね。それから人間の健康状態をチェックする埋込み型のデバイスも大きく進化していることでしょう。そして冷蔵庫から自動車にいたるまで、あらゆる分野でのモノのインターネット化(IoT化)が進んでいるはずです。モバイルデバイスはこうした自宅の全家電を自動管理するホームオートメーションのインタフェースとしての役割も負うようになります。
IoTの普及でキーとなるのは、モバイルなデバイスと非モバイルなデバイスのオーケストレーションだと思っています。おそらくこのオーケストレーションで洗練された手法が確立されれば、IoTのユーザエクスペリエンスは格段に向上するでしょうね。
また、NFCのような新しい標準化技術の普及にも期待したいですね。モバイル決済やロケーションベースのサービスを大きく進化させるはずですから。
モバイル、そしてクラウドの切り拓く未来は明るいです。その未来を支えるのがモバイルアプリケーションです。、開発者の方々はその明るい未来を背負っていることを覚えておいてほしいですね。