中国人どうしが持つ強い不信感
中国人を研究した書籍にもよく書かれているが、中国人の特性の1つとして、互いに強い不信感を持っている点がある。中国の歴史上ずっとそうであるかは考証できないが、現在の中国では、それは確かにある。
たとえば、中国人が中国企業へ物を売りに行っても、相手が友人であるか、友人の紹介がなければ信用されない。むしろ、日本人や韓国人が出向いたほうが信用されやすい。
中国人は、「初対面の中国人のために尽くす」という考えかたをあまりしない。そのため、中国では何事においても親戚や友人の存在が重要である。
たとえば税務署などにも、まず友人がいるかを周りに聞いてから出かける。税務署では、友人や友人の紹介で来た人に罰を受けない税の“抜け道”を熱心に考えてくれる。友人や友人の紹介でなくとも、賄賂を差し出されれば便宜を図ってくれることはある。
ただ、最近は監視の目が厳しくなったので、役人も安易に賄賂を受けなくなり、少なくともおおっぴらに便宜を図るようなこともしなくなったようだ。
このような状況を恐ろしいと思う向きもあると思うが、弱い立場の人たちが生き残るために数千年積み重ねた知恵かもしれない。自分にとって有利であればやる。このスタンスは、単純明快でかつ人間らしい考えかたであることも忘れてはならない。
法整備が進んで権力を分散し監督できる制度が整い、何事も決められたルールに則って行われるようになれば、友人に頼る必要性は薄れ、不正とその見返りも釣り合わなくなってくる。
税務署の役人が不正をしなくなったのは、そのほうが自分にとってより有利であると判断したまでのことだ。その点では本質的に、日本人も米国人も、そして中国人も変わりがないと思う。日本や米国では、そのような日常的に不正を働く環境がほとんどなくなっただけだろう。
おもしろいことに、中国での生活が長い日本のかたが、日本ではなかなか考えられないことまでしてしまう(暴走する)場面をよく見かける。中国的なやりかたに馴染まれたのかもしれないが、賄賂はいけない、人を騙してはいけないといった固定概念にとらわれず、環境に適応し、生き残るための道を選択したわけだ。