弱さの開示とレジリエンス
岡田 それで、「弱さの情報公開」というキーワードがあるんです。北海道浦河町の「ベてるの家」という、精神障害者施設というのがあって、そこの施設のキーワードのひとつが「弱さの情報公開」なんですね。いわゆる精神疾患のある人たちというのは、自分の弱さをなかなか人に見せられなくて、自分のなかで折れてしまうことがけっこう多かったのです。この施設では施設のなかで自分の弱さをみんなで公開しあうんですね。すると、そこで関係性がだんだん生まれてきて、という話なんですね。いま、社会システムってみんな強がりを言っているんですよね。防潮堤もそうですね。「これは、大丈夫だよ、大丈夫だよ」といっていたけど途中で折れてしまったり、原発なんかもそうですね。サイバーセキュリティなんかも弱さを見せちゃうと攻撃されてしまうので、みんな強がりを言っていますよね。でも、内情は弱い要素があるわけです。だから、部分的には弱さをうまく自己開示してくれると周りの工夫とか手助けを引き出す余地が生まれてくる。
丸山 そういう考え方に切り替えないと、もう、本当に防潮堤だけがどんどん高くなっていくという。ビジネス的にはそっちのほうが儲かるんですよね、きっと。次から次のほうがね。ただそれが社会全体の幸せになっているかというと少し話は別ですよね。
岡田 防潮堤が時々弱さを情報公開、自己開示してくれると、「あぁ、そろそろやばい、水が漏れちゃう」となったら、そこに住んでいる人の工夫を引き出して、一緒になってレジリエンスな社会がつくれるはずなんですよ。
丸山 ですよね。サイバーセキュリティにもレジリエンスが必要なんですよ。
岡田 それで、社会システム全体をそういうもの社会実装したいなぁと、僕なんかは思っているのです。例えばですね、バスの運行システム、1分でも遅れたらみんなクレームを言ってしまうんですね。「なんで遅れたんだ」と。「もう、遅れちゃうじゃないか」とクレームの嵐なんだけど、バスの運行システムも時々弱さを自己開示してくれるとおもしろいなぁと。「いま一生懸命頑張っているんだけど、ここ渋滞なんだよね」と自己開示してくれると待っている人も、「あぁ、バスのやつ頑張っているんだな」という余裕が生まれて、工夫が生まれる。
いま路線バスでも「いまここ走っていますよ。次この駅に着きますからもう少し待ってくださいね」というように自己開示してくれるものもありますね。そうすると、待っている方も余裕が出て、少し遅れても「あぁ、こいつも頑張ってたんだな」という気持ちになるということですよね。そういう対話が社会の中で生まれてくる感じですよね。
丸山 それは、システムとしてね。コンピューターとしてではなく、システムとして、何かお互いに目的を達成するために、補いあうというか。
岡田 ですよね。ですから、コンピューターシステムなり、サイバーセキュリティシステムがそれなりの働きがあるわけだけど、弱さもあって。我々人も、ちょっとした働きもあるし、弱さもある。でも、そこをうまく補いあうことの仕組みができるとね。
丸山 補いあうということをお互いに引き出し合う。そして、全体としては強くなるみたいなのが。
岡田 それで、人と人との共同性を引き出すひとつのポイントはですね、自分の状態を常に相手が参照可能なように表示しているということがけっこう重要なんですね。
丸山 さきほどの、コミュニケーションをとるために、ということでね。
岡田 それもあるんですけど、こういう社会的に相互行為を行っている時というのは、常にいま自分が何を考えて、どんなことをしようとしているかを相手にもわかるようにディスプレイしているということが重要なんですね。それがいまパソコンとかセキュリティシステムが非常に寡黙なんです。何を考えているかわからない。どういう状態なのかわからない。そうすると人も不安だし、不安だと複雑すぎるからもう関係性を切っちゃって、距離が生まれてしまう。ということがいま起こっているわけです。ですから、常にシステム側も自己開示するというか、ディスプレイしてくれるとこちらが補う余地が生まれる。
丸山 なるほど。その弱さの開示というか、ピンチの開示かもしれないですけど、「オレは弱くなってきているんだ」という。
岡田 だけど、いまは弱さを見せられない社会になっているのでなかなかそういうふうなことにすぐには行かないんだけども、本当は社会システムをそういう方向に持って行くと面白いかなと。
丸山 弱さの開示も、「この情報システムの、うちはこんなことができてません。なので、みんなで協力してね」というのを全世界に開示する必要はなくて、協力をお願いしたい人だけ開示をすればよいんですよね。
岡田 ええ。ユーザーとの間とか、会社内とか。
丸山 開示する範囲というのは、いろいろ調整はできるので、うまく調整すれば、その中のシステムとしては、レジリエンスにしていけるような気はしますよね。弱さの開示、そこを助けてもらわないといけないような部分の開示をして引き出すということを組み合わせると、ひとつひとつの要素が完璧じゃなくてもシステムとしては、強くなる。レジリエンスになる。そういう風な持って行き方をしないと、要素の強さを積み上げていったところでコミュニケーションが希薄になったらシステムとしては弱くなってしまう。全体としてはね。
岡田 それは、国と国との関係も。
丸山 全部一緒ですよね。
岡田 結局みんな強がっているから戦争になってしまうんですけど、「オレはちょっとここをPM2.5で弱っているんだけどどうしよう」とか、みんなで弱さを情報開示してくれると、「いや、それだったらここで助けられるよ」ということで、社会全体のレジリエンスが向上する、という話になる。
丸山 あれは、なんで弱さを出せないんですかね?
岡田 いやいや、それは、弱さに対して攻撃をするやつがいるからなんですよね。
丸山 そうか。
岡田 弱いところを突っついて、相手を負かしてしまう。国と国だったらば、日本も近隣諸国も自分の弱さを自己開示できない、「実はいまおれここが弱いんだよ」とは言えないですよね。
丸山 言えないですよね。そうすると、強さ。「これだけ強いです」という強がりの連鎖になる。
岡田 会社のなかにもありますね。
丸山 あれは、社内政治があるからかな? 給料に響くとか。よくわからないけど。できてなくても「できたふりをする」ということをよく見ますよね。
岡田 それは、最近の不正会計なんかも同じでみんな強がっているんですよね。だから、弱くても外に出せないからごまかしちゃう。
丸山 わからないですね。弱さを見せることへの恐怖でしょうか。だとしたら、身体的なものだからさ、逆に言うとそれを取り除くの難しいかもしれない。
岡田 それでいろいろな議論が巻き起こっているわけですよね。どうしたらいいか。
丸山 弱さを開示する。ま、コンピューターなら別にいいよね。そういう意味では。「つけこまれる」とか、そんなことを考えなくてもいいから。「やばくなってきたら、こういうふうにやろうやろう」とできますからね。
岡田 そういう議論が学校の場の中でも同じように、いじめとか、子どもが自分の弱さを見せちゃうと相手の攻撃にあってしまうとか、相手の弱さを潰しちゃうとか、いろいろなせめぎ合いがあるんだけど、そういうのをどう克服するかということは、けっこう教育関係者の間で議論していますね。こういう考え方をサイバーセキュリティなんかに少し応用できないのかなと。
丸山 いや、できると思います。それってサイバーセキュリティって結局100%機械でするわけではなくて、かといって100%人間でするわけでもなくて、機械の要素と人間の要素が混じっている。先日、新聞を読んでてね、ロボットというのが実はそんなにいまのところ恐怖じゃないのは、人間が考えたことをやっているからですよねって話が書いていました。現在のロボットは人間の思考の範囲内にいて、そういう意味で結局人間なんです。人間がやる作業を「こうしてくれたら楽になるのに」とかいうのを実現している。自動改札機と一緒で、結局人間の活動の一部をロボットにしていて、ロボットが何かを考えてロボットをつくっているわけではないからいまのところ大丈夫だという話があったんです。まだ人間が、サイバーセキュリティの中心で、人間が考えている範囲からは超えてないです。だからやっぱり、人間の弱さというのは、ちゃんと認め合うというか、そんなのがあれば結局、セキュリティでも何でも同じことが言えると思いますね。結局人間の弱さが起こしていることに違いはないので。
岡田 そうですね。人間がつくった穴なわけだから。セキュリティホールなわけだから。
丸山 そうそう。結果的にはね。意図的か意図的じゃないかは別としても、結局人間の思考からは超えてないです。いまどれだけロボットの技術が進んでいるといっても。いまのところね。所詮人間のなかでやっているから、その道具がコンピューターになろうが結局人間の問題なんですね、これは。そこで、弱さを認め合うという社会というのは、重要な課題です。国同士の問題だって同じですね。システムという意味でいると。
岡田 話が大きくなっちゃうのですが、システムか、その脆弱なシステムとそれを使う人との間のことを考えれば何かいけそうな気がする。
丸山 同盟という、国同士の取り決めなどがありますが、あれも一緒ですよね。お互いに「おれね、ちょっと金はあるんだけど兵隊がない」「兵隊はあるねんけど、ちょっと金が足らんのや」ということで同盟が組まれるわけで。共通の目標があるから、その目標に向かってお互いの弱さを認め合って協力していくということですよね。
岡田 同盟ということは、お互い自分の弱さを開示しあうから関係しあえるんですよね。
丸山 やっぱり、国と国でもできるんですよね。弱さを開示するということは。だから、目的がちゃんとあって、それに対して目標を達成しようと思ったときにお互いの弱さを認め合うようなことができればできるんですね。だから、ただ単に「弱さを出せ」と言われても出せないけども、「何かを達成するために、お互い足らんものがあるよね」というふうにしたときにはできるなといま思いました。だから、その浦河の施設も何かをするためにお互いに弱さを出し合うんですよね。普通の社会生活を送れるようにするためか、何かは知らないけれど。
岡田 そういうことですけどね。
丸山 そのためには、「お前、自分ができないことを周りに黙っていてもできないよね」と言わないというところをどんなふうにするか。