外資から日系に転身して驚いた“負の遺産”
酒井真弓(以下、酒井):深田さんは、かなりダイナミックなキャリアを歩んでこられたんですよね。
深田しおり(以下、深田):私のキャリアは、製造業の日系企業で機械設計からスタートし、すぐにITの世界に入りました。その後の海外赴任では、日系企業のITのサポートを行っていました。日本に戻った後は、外資系企業でM&Aに携わりました。マネージャーを務めながら、いくつかの日系企業の会社分離やM&Aのプロジェクトを担当する中で、衝撃を受けたのが、日本を代表する企業が、いつの間にか海外企業に買収される側になっている。そのとき「このままでは日本の製造業はダメになる」と、強い危機感を抱きました。
そんなとき、YKK APから声がかかったのです。巡り合わせですね。私の経験を活かして「日本の製造業を再び強くできるかもしれない」。そう考えて入社を決意しました。
深田:いざ入社してみると、問題はITだけじゃないということが見えてきました。
酒井:それ、聞きたいです!
深田:まず、IT戦略というものが存在しなかった。YKK APだけではなく、かつて日本の製造業は「個社自立」という考えのもと各製造所に予算と権限を与え、競争させることで成長してきました。必然的に、製造所ごとにバラバラのシステムが構築されてきたんです。
これが今や“負の遺産”となって、全社的な標準化が進まず、データ基盤や業務プロセスの統一も難しい状況に陥っていました。まずは全社共通の標準モデルを作り、業務プロセスを見直して変革の土台を作る。そして、ERPなど新しいシステムの導入を進めていこうと考えました。
酒井:何から着手したのですか?
深田:最初に手を付けたのは、全社のコミュニケーションツールです。Notesから、より汎用性の高いGoogle Workspaceに移行し、運用負荷も下げました。また、デスクトップPCからノートPCへの切り替えも進め、どこでも働ける環境を整えていきました。
その最中、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めました。実はIT統括部のオフィスビルの目の前に、あのダイヤモンド・プリンセス号が停泊していたんです。連日の報道をみて、いずれパンデミックになると直感しました。そうなれば、さらにノートPCが必要になる。会社の承認を待たず、すぐさまサプライヤーに電話して必要な台数を確保しました。既定の手順を踏んでいたら、とても間に合わなかったでしょう。
多くの日本企業は、こうした臨機応変な対応が苦手だと感じますね。外資系企業では、オプションB、オプションCを用意しておくのが当たり前です。この違いは、新型コロナ対応でもはっきり出たように思います。