判例とは?
法律問題を解決しようとするなら、法令とともに拠りどころになるのが、先行する裁判所の判断、つまり判例だ。判例は公開されて、以降の法律問題や社会一般に影響を及ぼす。
ここではサンプルとして、いわゆるハマキョウレックス事件を取り上げてみたい。この有期契約社員にも諸手当を支給しなければならない旨を述べた最高裁判所の判決(平成30年6月1日)は、今後の働き方改革関連法の運用にも影響を与えるものとして、広くメディアでも報道されている。http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=87784
判決は、労働契約法のあらたな解釈適用を宣言して、株式会社ハマキョウレックス(上告人)の有期契約社員(被上告人)に対する損害賠償責任を認めた。このとき、裁判は当事者の紛争を解決する作用であるから、その当事者以外の労使間に直接の債権債務の関係を生じさせることはない。ただ、以降はこの最高裁の判断に従って法律が解釈適用されてゆくから、同じ状況の紛争があれば同じく労働者勝訴の判断が下される。そして、労働基準監督署等の行政機関も当然にこの最高裁を前提に労働契約法を運用し、企業も、コンプライアンスに配慮するなら、この判例準則に従った労働環境の整備を行うだろう。つまり、このような形で、判例は社会に強い影響力を及ぼしてゆく。
このような判例の影響力の源泉である、先例として事後の裁判を拘束する力は、裁判の個別当事者に向けられた紛争解決作用を超えるものだから、判決等の文面から当然に導かれるものではない。
たとえば、上記最高裁判決では、手当などの労働条件はその相違が不合理と評価できるときに違法となるという解釈の枠組みを示して、当事者の権利利益を判断している。ここで、この判断枠組みが先例として機能することは、裁判所自身が判決に下線を施したり、判決要旨部分に記載していることから、また、識者による判例解説や判例評釈、法律論文からも読み取ることができる。
ただ、本判例でも「不合理であるか否かの判断は規範的評価を伴うもの」だから、「当該相違が不合理であるとの評価を基礎付ける事実については当該相違が同条に違反することを主張する者が,当該相違が不合理であるとの評価を妨げる事実については当該相違が同条に違反することを争う者が,それぞれ主張立証責任を負う」と記載されていて、つまりは、この枠組だけでは不合理性が論理必然には判断ができないこと、それゆえ、まず紛争当事者が具体的な判断を示し、裁判所がそこに検討を加える旨が述べられている。
このような当事者の紛争解決の過程の中から、先例として一般化できるのはどの部分なのか、それが後行する事案でどのような基準として機能するか(抽象的な法理として先例性を持つ法理判例なのか、限定された事実関係において先例となりうる事例判例なのか)は、立証しようとする事実との関係で相対的に画される側面もあって、一義に決めることはできない。
以上のような錯綜する議論と機能概念性を踏まえると、判例という言葉は、広く裁判所の法的判断一般を指すこともあれば、先例性を持つ判断だけ、あるいは最高裁の判断に限定、さらには、「最高裁判所が判例と考えているものが判例だ」との極論すら言えるとされている(中野次雄ら)。