初期のユーザー獲得に役立ったのはOSSのプロジェクト
前田:日本と米国の両方でここまでの成長を遂げたSaaS企業は稀だと思います。最初にTreasure Dataがどんな製品を提供しているかを紹介してもらえますか。
芳川:Treasure Dataは日本人3人(芳川氏と太田一樹氏と古橋貞之氏)がシリコンバレーで2011年に創業した会社です。プロダクトのTreasure Data(現Arm Treasure Data CDP)は、もともとクラウド上で稼働するビッグデータ解析のためのデータウェアハウスとして開発したものが源流です。当初はデータソースをTreasure Dataに入れると、すぐに解析できるようになることを訴求してきましたが、ある時点で顧客データやデバイスデータを集約するユースケースが最も多いことに気付いたのです。現在は、このプロダクトを大企業のデジタル変革のためのコアデータベースであるCDP(Customer Data Platform)と位置付けて提供しています。
前田:最初からエンタープライズ市場を狙っていたのですか。
芳川:そうです。企業向けソフトウェア市場ではSMBだけで成長することは難しい。いずれエンタープライズ市場を狙う必要があるとしたら、最初からにしようと創業メンバー同士で合意しました。PMF(Product Market Fit)を確認するには使ってもらわなければ始まらないので、SMBの攻略から始めることは「あり」だと思いますが、再現性を確認した段階でエンタープライズ市場にギアチェンジするのは、早ければ早いほどいいと思います。
前田:実績がない中、いわゆる最初の10社をどうやって獲得したのですか。最初から大企業を攻略する際、何を材料にするのですか。
芳川:本来のプロセスは、いわゆる「フレンズ&ファミリー」に相当する数社とプロダクト開発の前に解決しようとしている問題を確認し、どうすれば解決できるかを二人三脚で確認し、確認ができたら開発するというものだと思います。その意味で、最初の10〜20社はスタートアップを助けてくれるお客様と言えるでしょう。
私たちの場合、最初の10社はオンラインゲーム会社のようなインターネット関連企業でした。通常、B2Bのソフトウェアでは顧客獲得のためにリストの購入やイベントを活用しますが、私たちはこの手段に加えて、オープンソースソフトウェアプロジェクトをうまく利用しました。クロスプラットフォームのデータ収集ツール「Fluentd」がそのソフトウェアです。このソフトウェアで儲けようという気持ちはなく、「Fluentd の話をちょっと聞いてみようか」と思ってくれたお客様が初期の見込み客になりました。
前田:それはOSSのプロジェクトを公開し、利用しようとした大企業をリードジェンにつなげたということですか。
芳川:その通りです。一般的にOSSのビジネスモデルはソフトウェア自体を無償で提供する代わりに、エンタープライズ向けの機能やサポートを有償で提供するものです。リードジェネレーションでOSSを使うというアイデアがVCからもユニークだと評価されました。ある投資家から「Open Source 2.0」と言われたことを覚えています。
前田:それは他の会社では聞いたことがない話です。OSSをどうやってTreasure Dataの収益につなげるのですか。
芳川:Fluentdはデータを収集するソフトウェアです。インストールすれば、お客様は集めたデータを自社のアナリティクス基盤で解析したくなります。Treasure Dataが開発したツールなので、Fluentdと親和性が高い最もアナリティクス基盤は当然Treasure Dataとなります。だから話を聞いてもらえたのです。
「プレイブック」ができてから加速したARRの成長
前田:最初からエンタープライズ市場を狙うと、製品が市場にフィットするまでに時間がかかるのではありませんか。
芳川:確かに受託開発に近いものになりがちですが、そこは経営者の「決め」の問題です。一社しか要望のない機能を開発するつもりはありませんが、例えば100社のうち10社から要望があるとしたら、開発を検討するべきだと思います。
私たちが製品開発の投資で重視していることは3つあります。第一に汎用的なUXを訴求すること。UXは幅広いユーザー層に対するソフトウェアの使い心地に関わることだからです。第二に基盤技術。Treasure Dataはプラットフォームソフトウェアなので、プロダクトの強みとしてフォーカスするべきところです。最後がエンタープライズで利用されることへの意識です。SMBでは必要なくても、エンタープライズではディレクトリーサービスとの連携や役割ベースのアクセス制御などは必ず必要です。どんなスタートアップもリソースの制約がありますが、バランスの取れた投資をすることが大事だと思います。
前田:ターゲット市場を米国と日本にしたのは最初からですか。欧州も狙えたのに、なぜ米国を狙ったのでしょうか。
芳川:Treasure Dataはプラットフォームソフトウェアの会社です。歴史的にこの分野で日本発の製品がデファクトスタンダードになった例はありません。OSSのビジネスでは欧州も実績がありますが、基本的に基盤技術を定義してきたのは米国市場です。米国でデファクトスタンダードになれば、全世界にインパクトを与えることができますが、日本では難しい。プラットフォームソフトウェアをやるなら米国だと思いました。
前田:今日のテーマは「ARR(Annual Recurring Revenue)1億ドル」です。Treasure DataではARRゼロから100万ドルになるまでにどのぐらいかかりましたか。
芳川:2年くらいなので、比較的早いと思いますね。100万から1,000万ドルまでは3・4年かかりましたが、その後加速して、1億ドルになるのは早かったです。
前田:ARR 1,000万ドルから1億ドルまでを加速できた要因は何だと思いますか。
芳川:再現性が確保されたことです。どうすれば売れるかを示す「Go-To-Marketのプレイブック」ができたのがこの頃で、それに基づいて人を採用するようになりました。SaaSの会社はある水準に達すると、「営業1人に対して、SEが何人、サポートエンジニアが何人」というように、その体制で確保できるACVがわかるようになります。それができたのがちょうどARR 1,000万ドルを超えたぐらい。先行投資をさほどしなくても、顧客のデマンドが増えるのに比例して採用を増やすことができました。
前田:そのプレイブックでは何を決めていますか。
芳川:マーケティングと営業のSLA(Service Level Agreement)のようなことです。マーケティングはディスカバリーミーティングを何件設定するか。営業はそこから何件をクローズするか。例えば、営業が最初にプロスペクトに接触してから注文書をもらうまでに3カ月かかるとすると、来期に10件クローズするなら、何件のディスカバリーミーティングが必要か。そのためには何件のリード生成が必要かを逆算して目標値を決め、それぞれに何をするかを決めて合意するのです。プレイブックと言うよりルールブックに近いかもしれません。