ミッコ・ヒッポネン(Mikko Hyppönen)氏
F-Secure 主席研究員
コンピュータセキュリティに関する世界的な権威であり、New York Times, Wired、Scientific Americanなどの新聞/雑誌にリサーチ結果を掲載し、オックスフォード大学、スタンフォード大学、ケンブリッジ大学での講義経験、TEDへの複数回出演経験を持つ。また、Nordic Business Forumのボードメンバー、EUROPOLのアドバイザリーボードメンバーとしても活躍しシンガポール金融管理庁にも籍を置いている。
日々研究の題材が変わることこそが醍醐味
――今の仕事に就いたきっかけを教えてください
生活をするために働いたという理由もありますが、10代の頃からコンピュータに興味を持っていたことが大きく影響しています。兵役終了後も勉強を続けており、Data Fellows(1999年、F-Secureに社名変更)に1991年の6月に入社しました。当時は、まだ全社員が6人しかいないヘルシンキのスタートアップ企業でした。
――入社後は、どのようなポジションを経験されましたか
入社当初は、1年ほどデータベースの開発を担当しました。その後、マルウェアの解析やリバースエンジニアリングに携わるようになり、F-Secureが研究所を立ち上げたタイミングで研究に関する業務に従事。10年前からChief Research Officerに着任しています。基本的には、自身の範疇で研究を続けながら国際会議や講演会などで、企業の枠を越えたパブリックな形で情報発信をしており、非常に有益な仕事をさせてもらっていると感じています。
――入社間もない頃、F-Secureのウェブサイトをバックアップなしで削除してしまったと聞きました
1994年4月のことですね。当時フィンランドには16サイトしかなく、「NCSA Mosaic」はありましたが「Netscape」も使われていない時代でした。私は、UNIXサーバーの保守を担当していたのですが、バックアップを取っていない状態でHTMLのリンクを消去してしまいました。当時のCEOであるリスト・シラスマ(F-Secure創業者、前Nokia会長)に報告し、1からすべて作りなおしたことを憶えています。
――他にも入社初期のエピソードがありましたら聞かせてください
フィンランドには、一年に一度だけ「失敗の日」と呼ばれる失敗を語る日があります。そこで、いつもシェアする話をしましょう。22歳のとき、当時担当していたプロジェクトが遅延してしまい、お客様が非常に怒っていたときの話です。客先までソフトウェアを持ってデモをするよう言われていた私は、徹夜で開発を行ったソフトウェアをフロッピーディスクにいれ、ヘルシンキの西海岸から東海岸を横断するトラムに乗って会社まで向かいました。
いざ、会議室に入りブリーフケースを開けてみると、フロッピーがないことに気づいたのです。デモができないと謝りましたが先方の怒りに火がついてしまい、すぐに持って来いといわれました。しかし、トラムで往復すると2時間かかるというと、車を貸すから取ってこいと新車のコンバーチブルを借りたところ、道中焦ってしまい車をクラッシュさせてしまったのです。この話を講演会で学生にすると当然クビになったのだろうと思われ「次の会社はすぐ見つけられたのか?」と聞かれますが、幸運なことに今もF-Secureで仕事を続けられています。
――セキュリティは複雑化し続けていますが、どのようなモチベーションから最新動向をキャッチアップし続けることができるのでしょうか
急速に複雑化していくことこそが、この仕事の一番面白いところであり、好きなところです。どのようにユーザーを守ればいいのか日々研究の題材が変わり、テクノロジーも変化していきます。これを考えることこそが、仕事の醍醐味です。