コンテンツの「手ごたえ」とは具体的に何か
「X万人集客した」「メルマガの開封率がX%上がった」という数字は、もちろん喜ばしい。しかし、経営や営業にそのまま説明しても、あまり響かない。マーケティングが会社や商材の価値向上に貢献できているか、平たく言えば、顧客に「おたくの会社や商材は、うちの課題を解決してくれそうだ。気づかせてくれてありがとう」と感謝してもらうことが会社にとっては極めて重要だし、そのためにマーケターは何をすべきか、に知恵を絞るべきである。
この話を周囲のマーケターにすると「マーケティングをやっていても、顧客から感謝されたという実感を持てない」という嘆きを聞くことがある。これは辛すぎる。こうしたことが続くと、コンテンツを作るのも、キャンペーンを打つのもイヤになっていく。顧客の声を得られないなら、集客数や開封率といったマーケティングの世界に閉じた指標で効果を測るしかない。そうなれば、経営や営業とも話がかみ合わず、徐々にチームが息切れしていく。「このままで良いのだろうか」と頭の片隅でモヤモヤしながら、同じようなキャンペーンを繰り返すだけで1年が終わってしまう。トレンドフォロー型のコンテンツでキャンペーンを打つ期間が長すぎると、こういう症状に陥りやすい。複数の企業で同じようなコンテンツに触れている顧客が、何か特別な反応をあなたに返してくれることはないからだ。「まぁ、こんなもんでしょ」で終わりである。
もしあなたがこうした負のサイクルに陥っているなら、今すぐやるべきことが2つある。コンテンツの手ごたえと真剣に向き合うこと、そして、営業にコンテンツの相談をすることである。
「手ごたえ」とは、何かが良い方向に状態変化した、と実感できることを指す。「会議」を例にしてみよう。あなたが主催する会議で、参加者が重大な課題について膝を突き合わせて真剣に議論し、その結果「いいね、やってみよう」と誰もが納得できる結論が出たら、あなたはその会議に手ごたえを感じるだろう。なぜなら“課題も参加者も良い方向に状態変化した”と実感できるからである。手ごたえのある会議は、偶然には生まれない。まず、議論すべき課題を事前に準備し、議論に必要な参加者を招集する。会議が始まれば、参加者に課題の重大さを説明し、参加者に「それは解決しなければならない」という態勢になってもらう。会議中は、参加者全員が腹を割って意見やアイデアを言い合えるよう、会議をドライブする。そして、参加者の発言をまな板の上に並べて全員で吟味しながら、誰もが納得できる結論を導いていく。会議の手ごたえを得るには、主催者がこうした一連のプロセスをリードしていく必要がある。特に、参加者が議論に対して本気になるようにマインドセットすることが極めて重要である。ここがうまくいかないと「あなた説明する人、私それを評価する人」の関係になり、いつまでも手ごたえのある会議はできない。
コンテンツの手ごたえも同じである。マーケターは、顧客を状態変化させるために、およそ以下のようなプロセスをリードしていく。
- 顧客が抱えているであろう課題と、それに対する自社のソリューションをセットで定義する。広く定義すれば総花的なコンテンツになるし、狭く定義すれば特定のターゲット向けのコンテンツになる。
- コンテンツに反応した顧客が「我が社の事情を踏まえると、具体的にどうすべきか」を自分事として考えるよう、誘導する。
- 顧客が自分事を考える中で発生した質問をぶつけてもらい、顧客の事情に寄り添った回答をする。
- 質問への回答を受け取った顧客が「なるほど、いいですね、検討してみます」と感想をポストできる仕組みや機会を用意する。
セミナーや相談会のように、顧客とのインタラクションを前提にしたメディアであれば、顧客を一気に状態変化させていくことも可能だろう。デジタルマーケティングツールを導入すれば、顧客が複数のメディアを回遊しているうちにこういうプロセスを徐々に踏めるように、マルチメディア型のキャンペーンプログラムを組むこともできる。
コンテンツで手ごたえを得るためには、課題とソリューションを提示するだけでなく、顧客がそれらを自分事と捉えるきっかけを作ることが極めて重要である。会議同様、顧客がセミナーを批評家目線で評価するだけで終わってしまわないように気を付けよう。たまにプレゼンターがマシンガントークをして終わるだけの一方通行なセミナーを見かけるが、こういうのは、顧客が自分事を考える「余白」がない。新規リード獲得のため、と割り切るならこのままでもよいが、こういうセミナーを続けながら「いいネタを引っ張ってきてると思うんですが、顧客からの反応が薄くて」となるなら、それは当然だと思う。コンテンツにおける手ごたえは、コンテンツそのものではなく、顧客の「自分事」を一度経由しないと得られない。作り手の想いだけが詰まったコンテンツにならないよう、自戒の念も込めて、注意したい。