SOAには経営の視点が欠けていた?
冒頭、清水氏は、いまさらSOAではないのかもしれないがと前置きしつつ、SOAは十分浸透しているのか、日本のビジネスにそぐわない点があったのではないか、という視点で2004年前後の市場の動きからSOAの実態を総括しようと議題を掲げた。
これに対して安井氏は、BPMからのトップダウンのSOAがうまく機能しない現実や現場での混乱があったことを認めた。しかし、その半面WebサービスのソリューションはITシステムやエンドユーザーサービスにも浸透し、SOAがすでにコモディティ化している側面もあるとの認識も示した。
清水氏は、続けてSOAは年代ごとに協調される特徴や機能が分散して焦点がわかりにくかったのではないかと述べ、経営のアジリティ(機敏性)や業務プロセスを記述すれば実装コードが生成できる、システムを素早く構築できるといったアピールポイントも結果的には大風呂敷になってしまった感があるとした。
安井氏は、それは、SOAの定義があいまいだったからではないかとフォローした。安井氏は、そもそもアーキテクチャとはストラクチャ(構造)に対して「目的を持った構造」のことを指すべきだという。アーキテクチャとしてのSOAには、導入側である企業システム部門の「目的」と言えるべきものが希薄だったかもしれないと述べた。
本来であれば、BPMとしてビジネスプロセスを定義し、そこからアプリケーションやデータ構造といったレベルに落とすトップダウンのSOAが理想となるべきところを、情報システムが簡単に構築できる、変化に柔軟に対応できる、といった結果の一部が協調され、SOAシステムに対する企業ごとの目的が明確にされていなかったということだろう。
実際、米国企業の経営スタイルは、内制化の指向が強くDIY的に、製品やスキル、ソリューション、アウトソースなどを組み合わせてビジネスを組み立てていく傾向にあるという。この方式なら、SOAのようなアプローチは非常にうまくいきやすい。
しかし、日本はいわば発注型であり、予算を確保したらそれらをSIerや製品ベンダーに丸投げする傾向がある。このような契約形態だと、発注側の業務部門の参画はゼロに近く、SOAにとって重要なビジネスプロセスへの踏み込みが不十分なものになるのは明らかだ。米国のようにベストエフォートに近い準委任契約で発注者がプロジェクトの主体になる形ならもっとSOAが機能するのではないかという発言があった(清水氏)。
これに対して安井氏は、一括請負契約でもSOAシステムの形式上の構築は可能だが、やはりそこに企業システム部門としての目的がないと、自己満足的な新技術の導入になってしまうと述べた。一方で、日本でも昨今の経済状況を反映し、企業の内制化指向は強まっていると安井氏はいう。
これは予算があるから発注しようではなく、限られた予算とリソースで効率よくビジネスをするという「目的」のためにSOA(的なアプローチ)が見直されるということだろう。実際、クラウドの発想も、業務やアプリケーションを「サービス」として考えるという点において、通じるものがあるのかもしれない。